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2008/03/18

■有識者への信頼感

日銀総裁人事に関する新聞の論調には驚きを感じています。
論者の「権威」や「キャリア」への信仰の強さがこれほどにも強いのかと思います。

私は時々、企業の経営幹部の研修プログラムの相談を受けることがあります。
教育問題に関する提言活動の相談を受けたこともあります。
たいていの場合、講師は大企業の経営(体験)者や経営学の先生、あるいは経営コンサルタントです。
いまの企業状況や経済状況、あるいは社会状況をよしとするのであれば、それでいいでしょう。
しかし現状に問題を感じ、それを変革していきたいというのであれば、そうした人選は間違いです。
いまの状況をつくってきた経営者の話を聞くことは「反面教師」の意味はあるかもしれませんが、とても有益とは思えません。
そもそも「有識者」や「権威」は、現在の社会を前提にして成り立ちます。
ですから社会の変革期や変革のテーマに関しては、評価は反転するはずなのです。
しかしそうはならないのが現実です。

たとえば第二次世界大戦で敗れた日本社会の価値体系は反転しました。
しかし、戦後においても、学校の教師や政治家や裁判官は、戦前と同じ人たちが相変わらず主流を占めていたようです。
テクノクラートや専門家には価値観が不要といわれますが、価値観から自由な人間などいるはずがありません。
かくして社会はなかなか変わらないわけです。

社会のエスタブリッシュメントに依存している生き方が一番楽な生き方です。
昨今の日本は、そうした生き方が広がりすぎています。
エスタブリッシュメントとは無縁に、自分の人生を生きている人にはめったに出会えません。
退屈な時代です。

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