■節子への挽歌181:足がすくむ思い
前から約束していた、ある集まりに参加しました。
池袋とは知っていましたが、どこでやるのかあまりきちんと理解していませんでした。
これが私の生き方で、直前にならないと頭が動き出さないのです。
節子は、私のそうした生き方をいつも心配していました。
そして注意を促してくれる存在でした。
でも今は、そうした注意をしてくれる人はいません。
子供じゃあるまいし、それくらい自分で責任を持てと起こられそうですが、
そうした面では、私は思い切り節子に依存していたのです。
困ったものです。
自立できていなかったわけですが、それが私たちの生き方でもありました。
朝、会場の場所を確認しました。
池袋のメトロポリタンホテルでした。いやな気がしました。
池袋駅を降りた途端に足がすくみました。
このホテルの地下に、帯津良一さんのクリニックがあるのです。
そこに節子と一緒に通ったことを思い出しました。
その時、すでに節子は再発し、かなり病状は悪化していましたが、帯津さんに会って元気をもらいました。
それだけではありません。
池袋の思い出はそれだけではありません。
同じホテルで、官足法の岡山さんにお会いしたのです。
帯津さんも岡山さんも、節子にはとても良い出会いでした。
しかし、その時の節子の辛さと祈りを知っている私には、
足がすくむほどの、何ともいえない胸の不安感が襲ってくるのです。
こういう体験を何度したことでしょうか。
節子との深い思い出のあるところに近づくと、節子の思いがどっと出てきてしまうのです。
約束していた集まりでは、無事、役割を果たしましたが、辛い体験でした。
予め場所などをきちんと確認する生き方でなくてよかったです。
もし事前に知っていたら生けなかったかもしれませんから。
節子
辛い思い出がありすぎます。
そうしたことを、弱音もはかずに乗り越えていた節子のことを思い出すたびに、
あなたの見事さに気づかされます。
私にもできるでしょうか。
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