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2008/03/15

■195:戻ってこないのは節子だけ

節子
鶯(うぐいす)の鳴き声で、目が覚めました。

今年初めての鶯でした。
家の周りには幸いにまだ緑があるので、鳥のさえずりや鶯の鳴き声が心を和ませてくれます。
節子も鶯が好きでした。
今年は右の耳で聞いたとか左の耳で聴いたとか、いつも言っていました。
確か左耳だと幸せがくるのだそうですが、私はいつもどっちの耳で聴いたか識別できませんでした。
今年は残念ながら右でした。
でもまあ左耳でも聴きましたから、「よし」としましょう。

節子は、そういうことを大切にしていました。
その鶯が、今年も庭に戻ってきました。
戻ってこないのは、節子だけです。

庭の花もどんどん咲き出しました。
主を失って、少し元気をなくしていたような気がしていましたが、花は季節と共によみがえってくるのです。
よみがえってこないのは、節子だけです。

草木も元気に芽吹いてきました。
昨年枯れたパピルスも新しい芽を出しました。
花かご会のみなさんが植えてくださった、駅前花壇の「しらゆきひめ」も芽が出ていました。
季節がくれば、隠れていた草木のいのちは再び姿を現すのです。
姿を現さないのは、節子だけです。

どうして節子は戻ってこないのでしょうか。
不思議でなりません。

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