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2008/03/07

■節子への挽歌187:「死は、人間にとって最高に善いものかもしれない」

節子
死の体験はどうでしたか。
自らの死は体験できな以上、存在しないという論理がありますが、
実際に体験した節子からぜひ話を聞きたいと思います。
でも、聞けるようになった時は私自身も体験しているわけですから、あまり意味がありませんね。

死とはなんなのでしょうか。
ソクラテスは毒を飲んで死ぬ前に、集まった仲間たちにこう言ったそうです。

「さあ、私たちが行く時が来た。私は死ぬために、君たちは生きるために。
しかし、どちらが幸せかは、私たちの誰にも隠されている。ただ神を除いて」
と。節子は、どちらが幸せかの答がわかっているのですね。
節子の方が幸せであることを祈りたいです。
それは私にとっても幸せを保証してくれるわけですから。

節子がいなくなってから、死の対する考え方がだいぶ変わりました。
というよりも、これまで死については全くと言っていいほど真剣に考えたことがないことに気づいたのです。
ほとんどの人がきっとそうでしょうね。

プラトンの「ソクラテスの弁明」には、こんなソクラテスの言葉もでてきます。 

「死を恐れるということは、智慧がないのにあると思っていることにほかなない。なぜなら、それは、知らないことを知っていると思うことだからだ。死を知っている人はいない。ひょっとすると、死は、人間にとって、すべて善いもののうちの最大のものであるかもしれないのだが、彼らは、それを恐れている。それが最大の災禍であることをよく知っているかのように。しかし、これこそ、知らないのに知っていると思っている、無知というものにほかならないのではないだろうか」
「死は、人間にとって、すべて善いもののうちの最大のもの」
そうであれば、こんなに嬉しいことはありません。
すべての人にとって、それが保証されているのですから。

しかし、善いものであろうと、災禍であろうと、節子と一緒に体験できなかったことがとても悔しいです。

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