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2008/03/12

■節子への挽歌192:ケアの本質は「共に生きる」こと

節子
コムケア活動をまた再開することにしました。
コムケア活動は、だれもが気持ちよく暮らせる社会に向けて活動している人たちを、ささやかに応援しながら、人のつながりを育てていこうという活動です。

コムケア活動は、私にとっての平和活動でもありました。
人のつながりが広がれば、争いなど起こるはずがないからです。
まあ、これは間違った認識かもしれないと最近思うことも増えていますが、でもきっとそうだと自分に言い聞かせています。

これまでも全くやめていたわけではありませんが、どうも気力がもう一つだったのです。
それにこの活動は、節子がいればこそ、あれほどのめりこめたのです。
4年目ころ、あまりにのめりこんでしまい、私自身、仕事が出来なくなり、時々、夜も眠れなくなった様子を見て、少し休んだらとも言ってくれましたが、私にはやめるにやめられなくなってしまっていました。
それを支えてくれたのが節子でした。
体調が悪いにも関わらず、コムケアのイベントには参加してくれました。
家族もみんなで手伝ってくれました。
それが私には大きな支えになっていました。
そんなわけで、あなたがいなくなった後、コムケアをどうしようか迷っていました。

そして再開することにしました。
メーリングリストにその旨、宣言したら、いろんな方からエールをもらいました。
エールだけではなく、各地でもコムケアフォーラムをやってくれるというのです。

コムケアはコミュニティケアの略ですが、私には深い意味があります。
重荷を背負いあう関係づくりという思いです。
他者と「共に生きる」生き方の回復です。
節子がいなくなって、「共に生きる」生き方の大切さを実感しています。
ケアの本質は、そこにあるように思います。
しかし、他者と「共に生きる」ことは難しいです。
節子と、それができたのは、とても特別のことのような気がしてきました。
あなたは、やはり私にとって特別の存在だったような気がします。

節子と40年、共に生きられたことを感謝しています。
ありがとう。
また来世でも、共に生きられることを願っています。

ところで、3月23日にコムケアフォーラム2008を東京で開催します。
誰でも歓迎です。
よかったらご参加ください。
案内は私のブログにあります。


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