■「無駄」という概念は昔からあったのでしょうか
■「無駄」という概念は昔からあったのでしょうか(2008年3月1日)
ある組織の事業構造の構造化に取り組んでいます。
あまりにも多岐にわたり、数も多いため、事業全体が見えなくなっているので、可視化しようと考えたのです。
予算がないため、私がエクセルデータを使って手作業で始めたのですが、途中でいやになってきました。
そこで友人に応援を頼んだのです。
そうしたら彼は即座に、私が2日かけてやってきたことを、それよりも正確に集計してくれたのです。
その方法を教えてもらい、後は私でもやれるようになりました。
知識がないと、とんでもなく無駄なことをしているのだと改めて知りました。
しかし、最近、「無駄」が発生するのは、人と人との世界、それも人がつくった「知識」の世界だけなのではないかという気がしてきました。
自然と付き合う時にも、知識不足で無駄が生じることはあるかもしれませんが、その時の「無駄」は、別の意味での「効用」を持っているのではないかという気がするのです。
自然との付き合いは、常に1回性のものです。
そしてその付き合いのプロセスに意味があります。
きっと毎回新しい発見があることでしょう。
ところが、エクセルデータの解析などというのは、結果にこそ意味があるわけです。
そう考えていくと、「過程を大事にする生き方」と「結果を大事にする生き方」がありそうです。
そして現代人は、どうも「結果を大事にする生き方」になってしまっているが故に、「無駄」という概念が発生したのではないか。
まただんだんわけがわからなくなってきました。
今日は、自然との付き合いには「無駄」という概念がないのではないか、「無駄」という概念は、「廃棄物」と同じく、近代が生み出した概念ではないか、ということを書くつもりだったのですが、いつものようにその「過程」で終わってしまいました。
今とても気になっていることなのですが、まだうまくまとまっていません。
すみません。
この項は「つづく」です。
それにしても最近の国会の「無駄」さ加減には呆れています。
無駄使いしているのは官僚だけではありませんね。
| 固定リンク
「経済時評」カテゴリの記事
- ■資本主義社会の次の社会(2023.10.10)
- ■「資本主義の次に来る世界」(2023.07.24)
- ■「ペットボトル水現象は現代のチューリップ・バブル」(2023.07.06)
- ■読書の3冊目は「マルクス」(2023.03.28)
- ■ドラマ「ガラパゴス」を観て心が揺さぶられました(2023.02.15)
「社会時評」カテゴリの記事
- ■民間療法余談:「科学的」ということの勘違い(2023.10.04)
- ■時代の劣化をつくづく感じます(2023.09.15)
- ■ジャニーズ問題への私見(2023.09.13)
- ■「助けてと言える社会」か「助けてと言わないでいい社会」か(2023.08.26)
- ■汚染水を薄めて放出する発想が認められたらなんでもありでしょう(2023.08.23)
「政治時評」カテゴリの記事
- ■尽きることのない市場、尽きることのない争点(2023.10.05)
- ■戦争はなぜ起こるのか(2023.08.24)
- ■「歴史の逆流」(朝日新書)をお勧めします(2023.06.02)
- ■日本国憲法は誰が誰のためにつくったのか(2023.05.03)
- ■佐藤章さんの「職業政治家 小沢一郎」をみんなに読んでほしいです(2023.03.27)
コメント