■イラクや宮崎の場所がわからなくても生きていけるか
テレビの番組で教育論議をやっていました。
たまたまその番組を見たら、「イラクや宮崎の場所もわからない子どもが増えているような教育は問題がある」というような発言に対して、「イラクや宮崎の場所がわからなくても生きていける」という反論が行われていました。
入浴する直前だったので、そのやりとりしか見ていないのですが、風呂につかりながら、ちょっと気になりだしました。
たしかに、「イラクや宮崎の場所がわからなくても生きていける」でしょう。
しかし、その人生と、イラクや宮崎の場所を知っている人生とは、明らかに違う生き方なのだろうと思います。
義務教育といわれる小中学校の教育は、その人の生き方を大きく規定していくでしょう。
どちらの生き方を前提に、カリキュラムが組まれるかは将来の社会のあり方を方向づける重大な問題です。
大げさかもしれませんが、この議論には「教育の本質」「子育ての本質」が含意されているような気がします。
「イラクや宮崎の場所がわからなくても生きていける」生き方が、いまや主流になっているようです。
学校がおかしくなりだした原因は、こんなところにあるのかもしれません。
私は、やはり「イラクや宮崎の場所がわからなくては生きていけない」ような生き方をしたいと思っています。
みなさんはどういう生き方を望みますか。
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