■節子への挽歌204:自分に感謝する生き方
このブログを読んでくださっているAKさんから、先日書いた「笑いと涙の2時間半」の「あれから世界は激変し、く違った世界になってしまったような気がします」を読んで、自分も同じような経験をしたというメールをもらいました。
AKさんは節子のことをとても心配して下さり、節子がとても感謝していた人です。
元気になってAKさんを訪ねることも私たちの目標の一つでした。
AKさんは、数年前に脳出血で身体に障害が残ってしまいました。
いまは職場に復帰されていますが、その時に、世界が変わってしまったのを感じられたようです。
変わってしまった世界で生きていくのは最初はかなりの戸惑いがあります。
周囲の善意が、時に気を滅入らせてしまうこともあります。
AKさんは最後に、「この世に生を受けた以上、どのような境遇に会おうとも、一生懸命生きていかざるを得ないのだという当たり前のことに思いを新たにしています」と書いていました。
そこでついつい余計なことを書いてしまいました。
「一生懸命生きていかざるを得ない」と思うのではなく、「一生懸命生きていくことを楽しむ」のがいいです。
いや、「生きていくことを楽しむ」ことこそが、「一生懸命生きる」ことなのではないかと最近思い出しています。
これは、女房から教えてもらったことです。
AKさんからはすぐにそうですね、とメールが来ました、
思いはたぶん一緒なのです。
節子は、病気になってから「生きる毎日」をとても大切にするようになりました。
「大切」という意味は、「楽しむ」ということでした。
寝る前にいつも、「今日も楽しく過ごせて、ありがとう」と言っていました。
私にではなく、たぶん自分にです。
自分に感謝する生き方。
発病してからの節子の生き方から教えてもらったことはたくさんありますが、このことが一番私に大きな影響を与えたかもしれません。
感謝する「自分」と感謝される「自分」。
そこに「いのち」の本質があるような気がしています。
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