■節子への挽歌203:人にはそれぞれ決められた生き方があるのかもしれません
節子
CWSコモンズに書きましたが、先週、北九州市の山下さんが来てくれました。
その時に思ったことを少し書きます。
山下さんはアルピニストでもあります。
山が好きなのです。
激務の合間をぬって、アルプスに時々出かけていました。
でも、いまはなかなか山にも行けないようです。
時間の関係もあるでしょうが、体調の関係もあるのでしょう。
山下さんはまた、ボランティア活動ももっと広げたいと思っていますが、周囲の事情がそれをなかなか許してくれないようです。
そんな話をしていて思ったのは、私は本当に自分の思うような自由な生き方をしているのだろうかということです。
意識的にはそうだと思っていますし、このブログでもそういう生き方をしていると何回か書いた気がします。
でも本当にそうなのだろうか。
とりわけこの10年の私の生き方は、周囲の人たちとの関係のなかで決まっていたような気がします。
最近、2度ほど生き方を変えようと思ったことがあります。
5年前にはすべての活動を一度白紙に戻そうと思いました。
自由に生きていたはずが、いつの間にかさまざまなつながりのなかで、意図せざる状況になっていたからです。
ほとんどの学会や団体、グループなどから脱会しました。
3年前には経済的な理由もあって、ちゃんと「ビジネス」をしようと考えました。
いずれの時も、節子の病気の関係で、そうはなりませんでした。
しかし、生き方は間違いなく変わりました。
節子のおかげだと感謝しています。
節子はきっと私の生き方の方向性を知っていたのでしょう。
自分では見えないことでも伴侶には見えることはたくさんあります。
コモンズのほうに書きましたが、人には、それぞれ決められた生き方があるのかもしれません。
気づいていないのは自分だけなのかもしれません。
最近、そんな気がしてなりません。
節子の人生は、もしかしたら私と出会う前に決まっていたのかもしれません。
伴侶である私が、なぜそれに気づかなかったのか。
節子を愛し過ぎてしまったからかもしれません。
あまりに自分と一体化してしまっていたのです。
もしかしたら節子はそれに気づいていたかもしれません。
一体化しすぎている私たちの関係を、時々、危惧していました。
そして私にもっと自立しろと言ってくれていました。
しかし、私には「私の生き方」ではなく、「私たちの生き方」しか考えられなかったのです。
最近、ある人から「佐藤さんは人には自立しろと言っているのに、自分は自立していないじゃないか」と指摘されましたが、全くその通りです。
いまさら自立する気は毛頭ありませんが、私の生き方はどう決められているのでしょうか。
節子は知っているのかもしれませんね。
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