■節子への挽歌209:見ることのなかった湯島の梅
湯島のオフィスの近くの湯島天神の梅もそろそろ散り出していると思いますが、今年はとうとう見に行くことはありませんでした。
梅が咲き出してからは、とても行く勇気が出なかったのです。
節子と一緒に毎年立ち寄って、甘酒を飲んだり、猿芝居を見たり、たくさんの思い出があるからです。
節子を思い出すために行ったらどうかという考えもあるでしょうが、私はどうもそう考えられません。それこそ足がすくみ、不安感が胸を襲うのです。
だらしないねと笑われそうですが、それが正直な気持ちなのです。
一緒に行ったことのあるところに行きたいという気持ちはあるのです。
ただ行けないだけの話です。
行けば、きっと大丈夫なのでしょう。
でも行く気にはなかなかなれません。
いろいろなところに私を排除する結界ができているような気がします。
いえ、私が自らの周りに結界をつくっているのかもしれません。
最近、ちょっと防衛的になっている自分に気づいて寂しくなることがあります。
ベクトルを変えないといけないと思ってはいるのですが、まだ自信がでてきません。
来年はきっと湯島の梅を見られるでしょう。
| 固定リンク
「妻への挽歌02」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌399:節子を見送った後、初めて湯河原で朝を迎えました(2008.10.04)
- ■節子への挽歌396:習字の仲間が来てくれましたよ(2008.10.01)
- ■節子への挽歌398:秋の箱根は、無性に悲しかったです(2008.10.03)
- ■節子への挽歌395:マリーがよろこばないから(2008.09.30)
コメント