■チベット擾乱と国家の本質
チベット自治区におけるデモ弾圧事件は中国政府の鎮圧報道にも関わらず広がりを見せているようです。
こうした事件の報道に触れるたびに、社会契約説の虚構を感じるとともに、近代国家の暴力的な本質を実感します。
中国はいまだ専制国家的な要素を色濃く持っている非民主国家だから近代国家とはいえないという議論も成り立つかもしれませんが、そうではなくて近代国家なるが故の暴力性と考えるべきでしょう。
何回か書いたように、近代国家を支えているのは暴力の独占です。
その暴力には言説や情報の暴力も含まれます。
それを支えているのが治安部隊とマスコミと法曹界、それに学校教育システムかもしれません。
暴力を独占するそれらの権力支援体制やそこで活動する人たちは、同時に、寄生しているその体制を覆し反転させ、民主社会を構築していく原動力にもなりえるようになってきたのが、おそらく現在の情報社会状況です。
ネグリの「マルチチュード」は、そうしたことを整理してくれているように思いますが、残念ながらまだ機は熟してはいません。
それは生物としての人類の成熟度に関係しているような気がします。
イルカは個体の意識が全体につながっているというような話を読んだことがありますが、人類はまだそこまでの進化はしていないようです。
カントは、人間には善意志という「内なる良心の声」が備わっていると言っていますが、それをつなげる方向ではなく、分断する方向で、人類は歴史を進めてきています。
チベットの人たちの声を聴く善意志を切り捨てることで、近代国家は支えられているわけです。
近代国家は「自治」からではなく「支配」から構想されていますから、それは当然の帰結かもしれません。
しかし、チベットに限りませんが、デモを過剰暴力行為で鎮圧する治安部隊を構成している人たちが、なぜあれほどの凶暴性を発揮できるのかは不思議です。
それは私が学生時代に体験したデモでの機動隊の行動に感じたことですが、その暴力性は当時の比ではありません。
無防備な個人に発砲するのですから、まともな人間のやれることではないはずですが、それができる仕組みが育っているというわけです。
近代国家の恐ろしさを感じます。
今回の中国の報道はまた、国家は真実を隠蔽し事実解釈を独占する装置だということも見えてきます。
そこではまた責任概念が消滅しますから、所属する人たちの主体性や人間性もまた消滅するわけです。
中国と北朝鮮の同質性は垣間見えますが、おそらくその本質において、日本もまたそう変わらないのではないかと思います。
そう思って最近の政治や裁判、あるいは経済や教育をみるとまた違った見え方がするような気がします。
組織に依存している人の、なんと多いことか。
自治を求める動きをもっと大切にする世界になってほしいと思います。
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コメント
お話しの内容はおおむねもっともだと思います。
ヒトの暴力・残虐性については、古今東西同じことだと思います。
単なる憎しみ・蔑みの感情のみの場合と、個々の勝手な利害と、集団・国家の利害とが一致するときの暴力の正当性と、局面は種々あれど、残虐性はヒトの本性のひとつであると認識しています。
いま行われている暴力が信じられないということは、自分はそうではないとおもい込む可能性も含んでいます。つまりひとごとという感覚であると思います。
そう思っているかぎり、危険な状況になりつつあっても、私は・我が国はそんなことにはよもやなるまいと楽観、結果、次ぎ次ぎ崩れていく状況を追認する流れ、結果大きな過ちを犯す、とういうことを歴史が証明しています。
その上で、自治とはなにか、国とはなにか、再度自分のこととして再考する必要があると思います。
”自治”というカテゴリーの中にも”暴力”、”謀略”を含んでいるからです。
国家・企業・民族・宗教、どの断面で見ても、質的な違いこそあれ、暴力を内包しています。
投稿: 藤原潔志 | 2008/03/23 23:33
藤原さん
ありがとうございます。
反応が遅くなってすみません。
>国家・企業・民族・宗教、どの断面で見ても、質的な違いこそあれ、暴力を内包しています。
そうですね。
暴力を内包しないような組織原理って、ないものなのでしょうか。
家庭にまで入り込んでいますから、なかなかイメージが出来ません。
暴力をプラスに転じるような仕組みを考えたいものです。
投稿: 佐藤修 | 2008/04/28 11:16