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2008/03/09

■日銀新総裁は人事の問題ではなく政策の問題

日銀新総裁の後任人事が問題になり、そのおかげで国会が空転しています。
その現象だけをみていると民主党が悪者になっていくように思います。
審議拒否も、国民から見れば責任放棄であり、サボタージュに感じられます。
高級取りの国会議員が何もせずに国会で暇を持て余している状況を見ると、税金の無駄遣いだと思うのが普通です。批判は、民主党に向かいます。

そもそも私たち国民は、日銀新総裁の人事でなぜこんなに対立するのかと思いがちです。
所詮はテクノクラートであり、見識がある人がなればいいではないか、それに武藤さんは副総裁として今もやっているのだから不都合はないだろうと思うわけです。
あれだけ問題になった福井総裁だって結局は辞めさせられなかったわけですし、いまさら何だという気もします。

日銀新総裁とは何なのか。そしてなぜ武藤さんではだめなのか。
野党はそれに関して私たちに分かりやすい言葉で説明していません。
鳩山幹事長は「「財政と金融がつながってしまっているところに、この国の大きな問題が潜んでいる」と言いますが、財政と金融いずれにも詳しいのであれば、むしろ良いことなのではないかと思う人もいるでしょう。
過去の超低金利政策への批判から反対する人も多いですが、もう少していねいに説明してもらわないとその意味がわかりません。
拒否している理由がていねいに説明されないために、「政局」的反対ではないかと思う人も少なくないでしょう。
こういうところに、最近の日本の政治状況の本質があるような気がします。
ガソリン税も道路建設も、みんな説明不足ですので、そこに込められた大きな意味がなかなかわからないのです。

この数年の日本の経済運営が、昨今の格差社会を引き起こし、経済活力を低下させてしまったことは否定できないでしょうが、その責任の多くが日銀にあったとすれば、今こそ大きな政策転換が求められます。
もしそうならば、武藤さんは不適切ですが、では誰ならよいのか、です。

つまりこれは、人事の問題ではなく政策の問題なのです。
しかしなぜか人事の問題でしか語られません。
なぜでしょうか。
もしかしたら民主党も実はこれまでの財政政策や金融政策を認めているのかもしれません。
そういえば、福井さん問題ではあれほど世論が高まったのに追求は中途半端でした。

政策の時代は終わり、政争の時代になってしまったのでしょうか。
しかし、日銀総裁に誰を選ぶかはとても重要な問題です。
もっとたくさんの人たちの中から政策を出し合って決めていく仕組みが必要なのではないかと思います。
それにしても、民主党はなぜ国民に向かって話しかけてこないのでしょうか。
その姿勢をとっているかぎり、政権は取れないように思います。
いえ、取るべきではないように思います。

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