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2008/03/28

■家族の惨劇や不幸な無差別殺人事件は社会の実相の現れ

不幸な事件が続いています。
若者の無差別殺人事件は、いずれもこの社会から逃げたいというのが動機だと報道されています。
いずれの場合もその直接の契機は家族関係ですが、家族内での惨劇も少なくありません。
今朝も文京区で衝撃的な事件がありました。

家族はさまざまな問題を内包した、閉じられた空間である上に、人間関係も固定した逃げ場のない社会ですから、歯車が狂い出すと大変です。
でも、一線を越えることなど思いもせずに、みんなが支えあいながら問題解決に取り組んできたわけです。
ところが、その「一線」が崩れ出してきているようです。

問題は家族にあるのでしょうか。
社会の原点は家族にありますが、家族はまた社会に立脚しています。
人の生活は決して限られた空間に閉じ込められるものではありませんから、家族と地域社会は再帰的な関係にあります。
そのつながりが最近はどんどん断ち切れているのでしょう。
断ち切れさせる言説もすくなくありません。

しかし、人は一人では生きていけません。
支え合うことによって、生きていくように生命は設計されています。
つながりが切れた存在は、工場の作業ロボットや商品の消費ロボットとしては最強かもしれませんが、生きる上では脆い存在です。

最近の不幸な家族の惨劇や家族外に向けられた無差別殺人や無節操な犯罪は、こうした「つながりが切れてしまった社会」の実相の現われではないかと思います。
そして、そうしたことが「可能」であるという心理状況を醸成しているのが、事件を克明に繰り返し報道するマスコミではないかと思います。
マスコミには、もっと明るい話題、希望を育てるような話題を報道してほしいものです。

暗い社会の実相を隠蔽しろということではありません。
社会には多様な事件がたくさんあります。
どの話題を選ぶかで、社会の見え方は全く変わってきます。
そしてマスコミがどの事件を中心に編集するかで、社会のイメージは全く変わります。
イメージが変われば、実体も変わるものです。
イメージと実体は、これもまた再帰的な関係にあり、相互に干渉しあっています。
社会の実相を構築するのもまたマスコミなのです。

人への信頼を回復し、つながりを取り戻すために、マスコミが出来ることはたくさんあるはずなのですが。

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