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2008/03/30

■痛みを分かちあおうとなぜ言わないのか

ガソリン税に関する首相や政府の発言の身勝手さと宮崎県知事などの自立心を感じさせない無責任さ、そし動物の戦争での「こうもり」のようなマスコミの報道姿勢に、大きな怒りと失望を感じています。

なぜ身勝手と思うのか。
自説を理解しようとしない人の考えを理解しようとしない勝手さ。
自説に異論を唱える人の主張は理解しようとしない勝手さ。
時間が無くなってから動き出して間に合わないのは相手のせいだという勝手さ。
突然に基本的な考えを相談もなく変えてしまう勝手さ。
混乱の原因をすべて相手のせいにする勝手さ。

なぜ無責任と思うのか。
国家の交付金に依存して、主体的な自治行政を放棄していることに気づかぬ無責任さ。
そのくせ国家全体の視野を考えずに自分の県だけの利益しか考えていない無責任さ。
どうしたらいいかを考えずにともかく予算獲得に走るだけの無責任さ。
足元の自治行政ではなく、テレビや宣伝にあまりにも時間を費やしている無責任さ。
道路行政の遅れの原因を国家政府のせいにする無責任さ。

まあ、主観的判断ですから、異論も多いでしょう。
このブログも同じではないかと言われそうですが、
このブログの「身勝手さ」や「無責任さ」と、責任と権限のある人の「身勝手さ」や「無責任さ」とは全く意味あいが違うのです。
政府与党と野党民主党とも全く違います。
その非対称性を無視しては、論理は成り立ちません。

民主党の小沢さんがいうように、改革には混乱や損失はつきものなのです。
小泉元首相も「痛みを分かち合おう」といいました。
彼が国民に押し付けた「痛み」は、その結果としての成果を「分かち合う」スタイルではありませんでしたが(その結果、格差社会は進行しました)、今回の改革はそれに比べれば成果を分かち合える度合いは大きいはずです。

改革には混乱も不公平な影響もつきものです。
だとしたら、その不公平さの回復に努めることにこそ、知恵を出し合うべきです。
対立から言い合っているだけでは何も生まれません。
意見の違いを超えて、不公平になることを最小限にするようにしながら、混乱を克服していくことが望まれます。

そうした状況に向かって進み出せるのは、野党ではなく政府与党です。
与野党の対立は、決して対等な構造における対立ではないことも忘れてはいけません。
マスコミもまた主体性を持って、この事態に建設的に立ち向かう必要があると思います。
勢いがついた側や国民の人気取りの視点で報道しているような気がしてなりませんし、さらにどちら側にもいつでもつけるように玉虫色の報道をし続けているのはやめたほうがいいように思います。
報道は「中立的」にはなれないのですから。

結局、だれも「改革」など望んでいないのかもしれません

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