■節子への挽歌189:「これからどう生きようか」と考え続ける生活
昨日の続きです。
一晩、間をおいたので今日は冷静に書けそうです。
OSさんは、「精一杯のことをしたようにも思いますが、それで償いができたとは思いません」と書いています。
私も全く同じ思いを持っています、
どんなにみんなによくやったねと言われようと、どこかに悔いと罪悪感が残る、それがおそらく愛する妻を見送った者の心境ではないかと思います。
ウツ状況になる人もいるようです。
私もその可能性はゼロではありませんでした。
娘たちが元気付けてくれたとはいうものの、
節子の友人たちや私の友人たちが心配してケアしてくれたにもかかわらず、
時に落ち込み、時に不安感にさいなまれ、時に「もうどうでもいいか」と思いたくなるのです。
人が嫌いになり、失望し、希望を失い、生きる意味を見失ってしまうのです。
いつもは「生きる意味」など考えたこともないのに、突然、生きる意味がない人生をどうやってこれから生き続けられるのだろうかなどと考えてしまうのです。
それを表現すれば、元気を出さないと奥さんが悲しむよなどといわれるので、ことさら元気を装ったりするわけです。
そして、そんな自分がまたいやになっていく。
そんな気持ちを一番理解してくれるはずの妻はいないのですから、解決しようのない問題なのです。
伴侶とは、理屈を超えて支え合っていた存在なのだと思い知らされる毎日です。
OSさんは10年たってもまだ、「これからどう生きようかと毎日考えています」といいます、
素直に心には入ってきます。
あるはずもない「これから」をどう生きようかと考えることの答はあるはずもない、と思いながら、私も毎日、そう考え続けています。
節子は発病以来。「いまをどう生きようか」と考える生活に変えました。
それから節子の考え方や言動が変わってきたように思います。
その生きる姿勢から、私はたくさんのことを教えてもらいました。
しかし、残念ながら、「これからどう生きるか」については、節子は教えてくれませんでした。
いろいろと示唆は与えてくれていましたが、2人とも別々に生きることなど想像もできなかったのです。
今、節子は彼岸でどんな生き方をしているのでしょうか。
どうしてもまだ、彼岸で「生きている」節子を思ってしまいます。
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