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2008年4月

2008/04/30

■ワーキングプアよりもプアなワーカーたち

今年の連休は快晴に恵まれそうです。
私は会社勤めを辞めて20年もたちますので、連休には全く積極的な意味を感じない生活をしています。

今朝の朝日新聞の1面に、「細切れ雇用の果て 39歳、全財産100円」という大見出しの記事が出ています。

ワーキングプアの実態報告です。
この人たちには連休はマイナスの意味はあっても、プラスの意味はないでしょう。
時給を中心に暮らしている人にとって、連休はうれしいはずがないのです。
連休がうれしいのは、そして経済的にメリットがあるのは、会社に所属する正社員たちです。
私は一応、個人会社を経営していますが、働かなければ収入は全くありませんので、時給生活者と実質的には同じです。
ですからワーキングプアの人たちの気持ちも少しだけわかるような気がします。
それに私の周りには年収200万円以下の人たちも少なからずいます。
もちろん私の世代ではなく、30代の人たちです。

彼らは決して働きたくないのではありません。
自立生活支援センター・もやい事務局長の湯浅誠さんは、「いまは、少し踏み外しただけでもすぐに貧困のどん底まで滑り落ち、なかなかはい上がれない」すべり台社会だと言っていますが、まさにそうした社会になってきているように思います。
その一方で、テレビでは相変わらず無芸な芸人たちが浪費を刺激し、社会の実相を隠すように虚構の世界を見せています。
彼らは経済的にはプアではないでしょうが、その働きの内容は、ワーキングプアの人たちよりももっとプアなような気がします。
浪費社会の手先として演じているのではないかなどと私は勘ぐりたくなります。
そうした人たちが「環境にやさしい」とか「持続可能な社会」とか「愛」を語っているのを聞くことほど不快なことはありません。

連休のさなか、世論の声などどこ吹く風とばかり政府はガソリン暫定税を復活させ、無駄遣いする官僚を守りました。
歳入が減らない限り、行政の無駄など無くなるはずはありません。
「細切れ雇用の果て 39歳、全財産100円」の人とは全く無縁な人たちが、税金を浪費しているわけですから、やりきれない気分です。
道路を造るのではなく、そうしたワーキングプアの人たちの生活を支援するのであれば、増税も歓迎できますが、高齢者や障害者と同じく、政府の関心対象ではありません。
再可決を強行した政府与党の政治家たち、それを許した(消極的に支援した)野党の政治家たちの仕事も、まさにプアとしかいいようがありません。
快晴続きの連休なのに、いやなことが多すぎます。

前述の朝日新聞の記事の最後は、こんな文章です。

男性はたびたび、自分のことを「私のような人間」と呼んだ。まじめに働いても、30歳で大学を出たというだけで貧困から抜け出せない。広がる「ワーキングプア(働く貧困層)」。1年間働いても200万円以下しか収入がない人は、06年に1千万人を超えた。
このまま何も起きずに連休が終わるでしょうか。
なにかとてもいやな気分がしてなりません。

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■節子への挽歌241:人を介さずに、自らの心身で節子の声を観ずるように、早くなりたい

節子
福岡報告を書き続けてきましたが、もう1回書いて終わりにします。
しめくくりは、やはり祈祷所の話です。

昨日、福岡の加野さんから電話がありました。
疲れたでしょうという電話でした。
そして、でも奥さんの声を聴けて安心したでしょうとも言いました。
安心しましたと応えました。
それは間違いない事実です。

が、今日はその大日寺の体験を反故にしかねないことを書きます。
このブログは私の気持ちを正直に書くことにしていますので、書かないわけにはいきません。

いまのところ私の霊能力は生起していません。
仏教では山川草木悉皆仏性といい、すべてのものに仏性があるといいますが、
その仏性とは霊能力と言ってもいいでしょう。
それは顕在していなくとも、潜在していると思います。
なぜなら「在ること」そのものが不思議なことであり、
それを説明するにはやはり論理を超えた拠り所が不可欠だからです。

私には、しかし霊能力を意識できることはありません。
不思議さにおののくことはあって、不思議さを創ることはできません。
節子さえも守れませんでした。
ですが、時々、天からのメッセージのようなものを感ずることはあります。
おそらくすべての人が体験していることでしょう。
私の場合、かなり「小賢しい知識」に心身を占拠されていますので、
その体験の度合いは少ないかもしれませんが、
震えるほどの閃きを感ずることもないわけではありません。

霊能世界や彼岸の存在、したがって輪廻転生に関しては確信しています。
疑うことがないわけではないですが、それは自分を含めて誰か人が介する時です。
ですから、そうした世界にはできるだけ近づきたくないのです。

今回、大日寺での体験は、そのタブーを破ってしまったわけです。
節子への思いの強さが、タブーを超えて、私を呼び寄せたのですから、
それ自体霊の世界の存在を感じさせます。
そして、結果としては、節子の平安に触れ、私にはうれしいことでした。
加野さんと庄崎さんに感謝しています。

節子と私には、当然のことながら2人だけしか知らない事実がありますが、
そんなことよりも大切な日常的な、無意識に発する言葉があります。
節子は私を「お父さん」とは呼びません。
そう呼ばれるのを、私が大嫌いなのを知っているからです。
必ず名前で呼びあうのが私たちのつながりでした。
庄崎師の口から出てきた節子の言葉には、「お父さん」という言葉がありました。
その言葉を聴いた時、私は混乱しました。
庄崎師の言葉を疑ったわけではありません。
だからこそ混乱したのです。

言葉とは何なのか。
言葉は縁起を起こしますが、言葉の後にあるものがメッセージを込めて言葉になると思っています。
「修さん」ではなく「お父さん」には、メッセージが込められているのではないか、それが私の混乱の原因です。
考えすぎだと思う人がほとんどでしょう。
そうかもしれません。

福岡から戻った日、ウィトゲンシュタインの研究者の方から、華厳に関するメールが届いていました。
事事無碍法界に関する難解な話です。
観世音寺に行ってきたと返事を書いたら、「音を観る」ことに関する返事が戻ってきました。
彼岸との交流、ウィトゲンシュタイン、言葉、事事無碍法界、そして「音を観る」。
あまりにも見事につながっています。

録音してきた「節子の声」は、まだ聴けずにいます。
人を介さずに、自らの心身で節子の声を観ずるように、早くなりたいです。

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2008/04/29

■「三匹の侍」の百姓と「7人の侍」の百姓

ガソリン税がまた上がるようですが、それを見越してガソリンスタンドは長蛇の車の列だとテレビで報道されてます。
その光景がとても不思議です。
お上には従いながらも、自らの生活だけは自衛しようとする、まさに「三匹の侍」が描いていた百姓のようです。
「7人の侍」の百姓とは大違いです。
こうしたいじましい生き方を私たちは何とも思わなくなりました。

ガソリンスタンドの前に並ぶよりも、
国会議事堂の前にデモをかけるのが効果的でしょうが、今ではだれもやろうとはしません。
私もその気にはなれません。
政治への期待を失っているのでしょうか。
自民党も民主党も、いずれも国民との共闘などは考えていませんから、まあ政治家も国民も、どっちもどっちではあります。
政権を倒すのは、野党ではなく国民なのですが、民主党にはそのことがわかっていません。
国民もまたそのことを考えもしません。
なにしろいまや政治は世襲の人たちの舞台でしかないのですから。
世襲政治家の発言には驚くことが多いです。

最近、政治問題を扱うテレビの報道番組のキャスター役は自民党に批判的な姿勢を見せています。
現政権を批判してもリスクがない状況になったわけです。
にもかかわらず自民党はあわてませんし、民主党も動きません。
不思議な状況です。
政治が壊れてしまっているのでしょうか。
少なくとも政党は壊れています。

国民がどんなに騒ごうと反対しようと、政府は考えを変えません。
彼らは国民に選ばれてはいないのですから当然なのですが、こうして昔、日本は戦争に突入しました。
いま私たちが突入しようとしているのは、何なのでしょうか。
何となく見えてきますが、だれも見ようとはしていないのかもしれません。
見たくないものは見ないのが、人間ですから。
私も見たくはありませんが、その予兆が身辺に増えています。
最近は人間嫌いになりそうです。

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■節子への挽歌240:人生の記録は、自分ではなく、まわりの人の心身に刻み込まれている

節子
福岡の話をもう少し書きます。
今回、10人を超える人たちと出会い、話をしました。
偶然の出会いもあれば、予定した出会いもあります。
気になっている人は少なくないのですが、そのうちのお2人にはお会いできました。
GさんとSさんですが、いずれからも思ってもいなかった話が出てきました。
いつも元気で、笑顔を絶やさないお2人の後ろにも、たくさんのドラマがあることを知りました。

2人とも節子はたぶん会っていませんが、私から話を聞いているはずです。
そのGさんとSさんです。
Gさんは父上を昨年10月に見送りました。
節子と同じ病気でした。
Sさんはもう完治されていますが、やはり同じ病気の疑いで胃を全摘されています。
2人に会って何を話すというわけでもなかったのですが、いろいろと話が出てきました。

話しながら思いました。
笑顔の向こうにあるドラマが生死につながっているほど、笑顔は豊かになってくるのかもしれないと。

もう一つ思ったことがあります。
自分の人生の記録は、自分の心身にではなく、まわりの人の心身に刻み込まれているものだと。
お2人と話していて、私以上に過去の私のことを知っているようです。
冷や汗が出るような話をいくつか聞かされました。

私の人生を一番よく刻み込んでくれていた節子が先に逝ってしまったことは、私の記録と記憶の半分以上は現世からは消失したということです。
そして節子の記憶と記録は、私の心身の中にまだしっかりと残っています。
なにやら複雑な気分です。

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2008/04/28

■そんなの関係ねえ政権と分離社会の進行

山口県の衆議院補選は民主党が大勝しました。
しかし政府の対応は、まさに「そんなの関係ねえ」とばかりに、既定路線を走っています。
現政府には歳入確保と歳出削減が至上命題のようです。
幹事長は、「きちんと説明すれば、賢い国民はわかってくれる」と明言されていますが、彼らにとって「賢い国民」とはだれなのか。
この表現にこそ、「そんなの関係ねえ」発想を感じます。

最近、政権と国民がどこかで切れている感じがしていたのですが、どうもそうではなく、「切っている」のが実状かもしれません。
切らなければいけなくなってきたのでしょうか。
そういう視点で見ていくと、切り捨てることで成り立っていることが増えてきているように思います。
聖火リレーも「切った」おかげで何とか実行できました。

しかし「何かを切り捨てること」は、同時に「壁をつくって、その内部は結束すること」でもあります。
格差社会の進行も問題ですが、そうした分離社会の進行にも不気味さを感じます。
自分たちのことは過剰に防衛するのに、外部のことは「そんなの関係ねえ」と無視してしまう風潮は永続きしないでしょうから。

聖火リレーが長野で行われた日、善光寺ではチベット暴動の犠牲者の追悼法要が開かれました。チベット族か漢族かを問わず暴動で犠牲となった数十人の名前が読み上げられたそうです。そこでは「切り捨て」とは別の動きもあるわけです。
テレビで見る、リレー走者と追悼法要の僧との表情の違いがとても印象的でした。
切り捨てる側と切り捨てられる側を象徴しているような気がしました。

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■節子への挽歌239:1年前の植木市は節子と一緒でした

この週末は近くの手賀沼公園の恒例の植木市でした。毎年、節子と一緒に出かけていました。
今回はあまり行く気にならなかったのですが、昨日、娘たちが誘ってくれたので一緒に出かけました。
考えてみると、節子がいなくなったから初めての手賀沼公園です。
広場の周りにたくさんの植木屋さんが並んでいますが、1年前にはここを一緒に歩いていたのだと思うと、不思議な気持ちがしてなりません。
昨年、ここで節子が買ったツツジが今年は満開で、先週まで庭で見事に咲いていました。
節子がいたら、また何か珍しい樹木を購入したのでしょうが、今年は花しか買いませんでした。
天気がよくなって、陽気な雰囲気になってきましたが、やはり節子がいないとなかなか心は陽気にはなれません。
1年前には、よくここにも散歩に来ていました。

会場で、花かご会の山田さんに会いました。
山田さんも自転車のどっさり花を積んでいました。
東田さんもお見かけしました。
節子がいたら、きっと楽しい歓談の輪ができるのにと思うと、やはり寂しくなります。

行く途中でも花をどっさり買い込んだ中村夫妻にも会いました。
節子のおかげで、いろんな人とのご縁をいただけています。

ところで、昨日は節子の投稿が朝日新聞の「ひととき」に掲載された日でもありました。

1年前の節子は、病院で健気にがんばっていたのです。
1年前を思い出すと、いろいろなものが一緒に思い出されてきます。
1年前は、本当に喜怒哀楽が凝縮した生活を過ごしていました。
思い出すのが怖いほどです。

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2008/04/27

■節子への挽歌238:観世音寺の仏たち

ここまで来たらもう少し福岡報告を続けます。今日は祈祷所に行く前の話です。
CWSコモンズにも書きましたが、加野さん宅を訪問する前に、大宰府の近くにある観世音寺を訪ねました。
大宰府に来たら必ず立ち寄るようにしています。
ここの宝蔵の空間がなぜか引き寄せるのです。

今回は朝早く寄りましたので、30分ほど私一人でその空間を独占できました。
正面に巨大な3体の仏がいます。
真ん中は馬頭観音です。
見事な観音です。
その両側にこれも大きな十一面観音と不空羂索観音が立っています。
いずれも5メートルの巨体ですが、それが並んで目の前にあるのです。
馬頭観音の前に座ると三方から10数体の仏たちに取り囲まれるようになります。
ここを訪れた方は絶対に忘れることはないでしょうが、すごい迫力の空間です。

ところがです。
いつもと違って、今回は仏たちが小さく感じるのです。
いつもはその経屋に入った途端にみんなの目線を感ずるのですが、
今回はなぜか誰も私が入っていったのを無視するような気がしたのです。
前回はここで節子の快癒を祈りました。
もしかしたら、その願いを適えられなかったことで身を縮めていたのかもしれません。
しかしここには大日如来はいませんので、責任は大日如来でしょう。
ちなみに祈祷所は大日如来の大日寺です。

彼らと一緒の時間を過ごしていて気づいたのですが、立ったままの仏像は疲れないのだろうかと心配になりました。
真ん中の3体はいずれも立像です。
どうして立ったままの仏像をつくろうなどと思ったのでしょうか。
今までそんなことなど考えたこともなかったのですが、とても気になりだしました。

節子がいなくなってから、世界の風景がいろいろと変わりました。
仏の世界まで変わったのかと思いました。
まあ、節子と一緒だったら、そんな話を飽きることなくしているはずです。
でも今となっては、そんな話をする人もいなくなってしまいました。
それにしても、観世音寺の周辺はなぜか心和みます。
節子と一緒にこられなかったのが、本当に悔やまれます。

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2008/04/26

■節子への挽歌237:経験したことがないほどの疲労感

また挽歌236の続きです。それも私の話です。
節子の涙を見た後、車で福岡の天神まで戻りました。
その途中、いろいろと加野さんとも話したのですが、どうも整理できません。
それほどの異常現象を体験したわけではありませんし、私の理解の範囲内のことだったのですが、どこかに奇妙な感覚が残ったのです。
タクシーの中で、加野さんが突然、飯田史彦さんの名前を言い出しました。
あの本で元気付けられましたと言うのです。
そういえば、加野さんに飯田さんの「生きがい」シリーズを送ったことがあったのです。
その言葉は、なんとなく私にその本をもう一度読み直したらどうかというように聞こえました。

今回はあまり書きませんでしたが、実は加野さんご自身がどこかに役行者を感じさせるところがある方なのです。
もう80歳を超えているのに、その身のこなし方は実に若いのです。
驚くような「危うい話」もあります。
石田梅岩にまつわる話まであるのですが、これは話題がはずれすぎますのでやめます。

ところで、私の心身に残った「奇妙な感覚」のことです。
それは加野さんと別れて4時間くらいした時に、突然やってきました。
心身から力が抜けだしたのです。
いや「力」というと正しくありません。
なにかもっと根源的な生命力のようなものです。
ともかくこれまで経験したことがないほどの倦怠感、疲労感が全身を襲ってきたのです。
あまりの辛さにすぐに寝たのですが、翌朝、起きてもまだ回復していませんでした。

ご祈祷の帰り際に庄崎師が若宮地黄卵を下さいました。
加野さんが私に持って帰れというのです。
東京まで持って帰るのは大変なので辞退したのですが、加野さんは一度決めたら後には引かないのです。
庄崎さんも加野さんも、私が死ぬほど疲れることを知っていたのでしょうか。
いささか勘繰りすぎですが、この疲れは何なのか不思議でなりません。
それからもう3日経ちましたので、今はほぼ回復しています。

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■出るをもって入るを制する

西部劇にはよく「おれが法だ」というボスが出てきます。
無法地帯だった西部には、法を語る権力者が生まれる素地があったのでしょう。

ところが、それと似た状況が今の日本にあります。
自民党の面々は、政府こそが法だといわんばかりの暴政を展開しています。
弱者がやっと手に入れた抵抗権を使えば、権力の乱用と非難します。
自分の思いが通らなければ社会に混乱を起こすといい、自分が起こす混乱は何も言いません。
税収入が少なくなり、無駄遣いができなくなれば、増税します。
弱者からは絞る取れるだけ搾り取ります。
たとえ自殺者が出ようと、一言もコメントしません。
これがいまの日本の政府のやり方のように見えて仕方がありません。

どんな暴政下でも、人々は生きなければいけません。
現場は身を粉にしてがんばっていますが、なかなか報われません。
個人の場合は、収入がなければ節約します。
「入るをもって出るを制する」わけです。
しかし政府は違います。
収入が減ってはならないのです。
「出るをもって入るを制する」わけです。
まさにパーキンソンの法則は守られています。

もっとおかしなこともあります。
会社に不祥事があれば、過去の不祥事であろうと現在の経営者が責任をとり、辞任します。
政府はどうでしょうか。
たくさんの人の生命に関わる事件を犯しても、巨額な税金を使い込んでも(使い込み続けていても)、誰も責任を取りません。
行政の長が政府であることは忘れられ、官僚と政府は敵対関係にあるようなイメージを巧みに作り出しています。
次々と明るみに出る、行政の不祥事を管理してきたのは歴代の自民党政府です。
相変わらず放任している首相は逮捕もされず、辞任もしません。
ルイ16世やマリー・アントワネットはうらやましがっていることでしょう。

不思議な時代になりました。

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2008/04/25

■なぜここまでして聖火リレーをするのでしょうか

聖火の火が日本に来ました。
長野での聖火リレーは、ものものしい警戒態勢の中で行われるようです。

なぜここまでして聖火リレーをしなければいけないのか不思議です。
いろんな人が走者に加わっていますが、なぜ辞退する人が少ないのかも不思議です。
チベットの問題と聖火リレーをつなげることには私も違和感がありますが、チベットの人たちの追い詰められた気持ちもわかります。
それを知っていたら走れないのではないかと私は思います。
どうしてこんな状況の中で走れるのでしょうか。

不思議でなりません。

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■節子への挽歌236:節子の涙

昨日(挽歌235)の続きです。

大日寺には閻魔堂があります。
たぶん庄崎師への寄進で新しく創ったものでしょう。
大きな、そして力強い閻魔大王です。
霊場に閻魔大王というのはめずらしいのではないかと思います。
そしてその周辺には所狭しと花が植えてあります。
たくさんのランが見事に咲いています。

加野さんの後を付いて相談にくる人の集まる場所に行くと、加野さんがどうぞお上がりくださいというのです。
そうかここはみんなのコモンズ空間なのだとわかりました。
こういう場所は初めてですので、私にはいささかの緊張感もありますが、加野さんは自分の家のように振るまっています。
そう言えば、以前、大分の国見町の大光寺に泊まった時もそうでした。
あの時は、しかしなぜか私だけがお寺の本堂の裏にある個室に一人でねむらされましたが、その夜中に異常な体験をしたのです。

そんなことを思い出しているうちに、庄崎師が顔を出しました。
どこにでもいるおばさんです。
普通の作務衣をきているので、お遍路さんと見分けがつかないはずですが、見た途端にわかりました。
不思議なあったかさを感じさせるのです。
私に向かって、「こういう世界もあるのですよ」と一言だけ声をかけました。
どういう意味でしょうか。
初めての人にはみんなに言うのでしょうか。
その言い方は、ご自身も不思議がっているような言い方でした。

大きなロウソクに節子の名前を書きました。
加野さんも娘の寿恵さんの名前を書きました。
今回は加野さんも節子のことを中心に祈祷してほしいと言ってくれました。
私は近況報告を頼むと共に、節子に言い残したことはないかを訊いてもらうことにしました。
全く予期していなかった突然のことだったので、私たち家族と節子は最後の会話ができなかったからです。

庄崎師はまず節子に報告をしてくれました。
その時です。
加野さんと私が名前を書いたロウソクが並んで立っていたのですが、私が書いたほうのロウソクが炎を大きくさせ揺らぎ出したのです。
庄崎師も、祈りをやめて、こういうことがあるのですよ、と驚いているのです。
きわめてカジュアルな祈祷師です。とても好感が持てました。

最後に言い残したことはないかという質問をしてくれました。
そしてその後、庄崎師の口から節子の言葉、そして加野さんの娘さんの言葉が出てきたのです。
声そのものが節子や寿恵さんの声に変わったのではありません。
声は透明感のある、むしろ抑揚の少ない、受け入れやすい声でした。
結論的に言えば、言い残したことはないと言うことでしたし、差しさわりがない内容なので庄崎師の創作だと言ってしまえばそれまでの話です。
しかし加野さんは何回か、庄崎師さんが知るはずのないことが言葉として出てきた経験をお持ちなのだそうです。
そういわれれば、初対面の私や節子に関しても当てはまる内容を、よどむことなく話すことにはやはり尋常でないものを感じさせられます。

そして、庄崎師が下を向きながら口伝えの話を終えて顔を上げた時、師が声を上げたのです。
私も加野さんも手を合わせて下を向いていたのですが、その声でロウソクを見ると、私のほうのロウソクだけが大きく右側にロウがたれていたのです。
たぶん一瞬に起こったことです。
私も時々ロウソクを見ていましたので。
供養の言葉を書いた場所をよけるようにロウが流れていました。
庄崎師は、それを何回も言いました。
私も不覚にも涙ぐんでしまいましたが、さらにそれに合わせるように、今度は燭台をはみ出す形で、その下にまでどっと一筋のロウが流れ出したのです。
しばらく3人でそれを見詰めていました。
節子の気配を感じたわけではないのですが、節子が示してくれた「しるし」だと思わないわけにはいきません。
これは奥さんの嬉し涙ですと、と庄崎さんは言ってくれました。

「こういう世界もあるのですよ」
改めて先ほどの庄崎師の言葉を思い出しました。

昨日よりも長くなってしまいました。
もう一度、続きを書きます。

経験したことがないほどの疲労感

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2008/04/24

■社会が壊れ出しているのでしょうか

福岡に行っていました。
いろいろと刺激を受けてきましたが、期せずしてお会いした2人の方から、社会が壊れだしているのではないかと思わせる話をお聞きしました。
一人は福祉の世界で活動している方ですが、福祉に関わる行政の人たちが仕事をしていないのではないかという話です。
もう一人は新聞社OBの方ですが、最近のマスコミはおかしくなっているというのです。

そういえば、最近、誰と会っても組織がおかしくなってきているという話がよく出ます。
みんなおかしさを実感しているようです。

最近の社会は一体どうなっているのかと不安ですが、身近な所を見ても、いたるところで組織や制度が壊れてきているような事象を指摘できます。

自然界の中では、全体と部分が相似的な構造になっている事例が多いといわれます。
それをフラクタルと呼んでいますが、その現象は自然界に限りません。
むしろそうしたフラクタル現象は、人間社会に多く見られるように思います。
身近に感じられるおかしさが、実は社会全体に蔓延し、社会そのものを壊し出しているのではないか、そんな気がします。

社会が壊れ出しているということは、社会の構造原理が壊れ出していることです。
おそらく個別の組織や制度の変革で対応できることではないでしょう。
社会のさまざまな組織や制度は、ホロニックにつながっているからです。
行政や企業が壊れ出しているのは、その表層的な現れの一部でしかありません。

社会を正す方策は、私たち一人ひとりの生き方を正すしかないように思います。
気が遠くなりそうな気もしますが、社会を正すのは自分の生き方を正すしかないのだという気がしてきました。
60年かかって壊れたものを直すには、その倍の120年くらいはかかるでしょう。
私のわずかな老後は、壊れた社会で生き延びなければいけないようです。
しかし子どもたちのために、せめてベクトルだけは変えて行く努力はしたいとは思っています。
これまでの60年、何をしてきたのか、全く無念でなりません。

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■節子への挽歌235:篠栗四国の霊能祈祷師の庄崎良清師

福岡県篠栗町。
北部九州には霊能地帯と言われるところが少なくないですが、ここは小豆島四国、知多四国と並んで有名な霊場「篠栗四国」と言われています。
八十八ヶ所の札所がありますが、そのなかで特異な存在が二十八番大日寺です。
そこの霊能祈祷師の庄崎良清さんは有名で、相談に来る人が行列をなしているそうです。

そうした霊能祈祷師の話はこれまでも何回か聴きましたし、節子のことで相談に行こうかと思ったこともなかったわけではありません。
いずれも遠隔地だったのと、私以上に合理主義だった節子は元気だった頃はあまり乗り気でなかったのも事実でした。
その種の世界はどちらかといえば、私には親近感がありましたが、わが家族はどちらかと言えば無関心でした。

節子に奇跡が起こり出した時、実は加野さんが庄崎師にお願いして回復祈願をしてくれるはずでした。
しかし間に合いませんでした。
節子の回復祈願のために、お神酒と塩と供物が届きましたが、その時、まさに節子は旅立ったのです。
その後、その庄崎良清さんのことも私はすっかり忘れていました。
人間は勝手なもので、困っている時には何にでもすがりたくなりますが、終わってしまうとその反動がきます。
そうした人間の身勝手さを、私は今回自分自身に関して強く体験しています。
私自身の身勝手さには、我ながら呆れるほどです。

今回、加野さんを訪ねることにしたら、加野さんが節子の声を聴きに行こうと行ってくださった時、すぐに庄崎良清さんだと思いましたが、それほど乗り気にはなれませんでした。
それは霊能や祈祷を信じないからではありません。
むしろ私はそうしたものの存在を微塵も疑ってはいません。
だからこそ触れたくないという気がしています。
節子の声が聴けたらどんなに嬉しいかとも思いますが、
聴けばおそらく絶対に失望するだろうとも思っていました。
おかしく聞こえるかもしれませんが、私と節子のつながりは、霊能祈祷師と言えども割り込んでくる隙などないことを確信しているからです。

加野さんは、しかし有無を言わさずに私を篠栗に連れていきました。
大宰府からタクシーに乗ると雨が強くなりました。
30~40分くらいかかったでしょうか、大日寺に着くと雨が強くなりました。
大日寺は山の上にあります。
いつもは早朝から相談に来る人が列を成しているのだそうですが、今日はお休みの日だったので庫裏のほうには一組の人たちがいるだけでした。

途中のタクシーの中で、加野さんから少しお話を聴きました。
庄崎良清師は女性でした。
しかもかつてはクリスチャンでした。
隠れキリシタンの伝統を引く福岡県の今成の出身だそうです。
1986年、啓示を得て得度し、その後、無人の寺になっていた大日寺を任されたのだそうです。
そのあたりのことは、「おみくじ」という本に詳しく書かれています。
今回いただいてきました。

もうひとつは、その寺がたくさんの花で囲まれていることでした。
ランが多いのですが、そのすべてを師ご自身が丹精を込めて毎年咲かせているのだそうです。

その二つの話をお聞きして、私の関心は急に高まりました。
タクシーをおりて、お寺にはいると雨がますます強くなりました。

長くなったので、続きは明日にします。

節子の涙
経験したことがないほどの疲労感

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2008/04/23

■節子への挽歌234:節子、加野さん母子にきちんと伝えましたよ

福岡に来たもう一つの目的は加野さん母子に会うことでした。
加野さんは、節子に最後の大きな希望を与えてくれた人でした。
残念ながら、節子を守ることはできませんでしたが、奇跡を起こしてくれたのです。
加野さんのおかげで、節子が息を引き取る6時間前、私たちは奇跡を確信しました。
その確信の平安の中で、節子は眠るように息を引き取ってしまったのです。
それは本当に信じられない夢のような体験でした。
喜びの頂点から地獄の底に突き落とされたのです。
でも節子は幸せそうでした。

加野さんは大宰府で久留米絣のお店を開いています。
伝統工芸としての絣の保存に尽力されています。
いつか節子と一緒にいつか行きたかったお店ですが、実現できませんでした。
節子は、加野さんからいただいたテーブルクロスやタペストリーがとても気に入っていました。

加野さんとの出会いは、加野さんの娘さんの寿恵さんの縁です。
寿恵さんが東京で一人暮らししている時に、私たちがささやかに相談に乗ったりしていたのです。
節子は寿恵さんの素直さがとても好きでしたが、数年前に若くして亡くなってしまいました。
私だけでお参りさせてもらいましたが、節子は気にしながらも行けませんでした。

加野さんは母一人子一人でした。
加野さんの辛さはいかばかりだったでしょうか。
節子と別れて、初めてその辛さを少し理解できたような気がします。
加野さん母子にきちんと報告しておかなければとずっと気になっていたのです。

加野さんのお母さんは、もうご高齢なのですが、お元気でした。
気丈な方なのですが、それ以上に不思議な方です。
私がお訪ねするといったら、早速、節子と話をするといいといってくれました。

以前書きましたが、加野さんは、篠栗町にある大日寺に霊能祈祷師のところで、寿恵さんと時々触れ合っているのです。
今日は祈祷所はお休みだったのですが、電話をしてくれてお伺いすることにしました。

そこでの体験は、正直言って、まだ消化できずにいます。
ただその1時間くらいの体験のせいか、私自身、これまで体験したことがなかったような全身の疲労感に襲われてしまいました。
少し整理して書くようにします。

篠栗四国の霊能祈祷師の庄崎良清師
節子の涙
経験したことがないほどの疲労感

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■介護者を支援できない社会

またいたたましい事件です。
老親の介護に疲れた58歳の男性が、老親を殺め、自らをも殺めてしまったのです。

ちょうど、事件の報道のあった朝、志を強く持って介護の世界に身を投じていた知人からメールが来ました。
介護の現場を実感していただくために、そのメールの一部を紹介させてもらいます。

自宅を開放してのデイ。仕事・記録などが終われば母の介護。 
プライバシーもプライベートも皆無の日々で鍛えられております。

自分の親を看病・介護するようになって、はじめて『自分は介護をなめていた』と思っております。

介護は地獄です。特に僕みたいに結婚もせず、一人身で親の介護をしている息子は。。。
我親に手を上げる息子の気持ちもよく分かります。
しかし、これも試練『人生は重き荷物を負て・・・』と自分に言い聞かせて、一日一日を堪えて、凌いでおります。

しかし、いたって気持ちは前向きで、体調も既に壊れ始めておりますが、自分で選んだ道ですので倒れてもこれでいいのだと思っております。

私たちの社会は、こうした人たちに支えられています。
今回の事件は、決して例外的な事件ではないのです。
なぜ福祉行政の方向を決める人たちに、こうした現実が見えていかないのでしょうか。
介護を体験している人はいないのでしょうか。

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2008/04/22

■節子への挽歌233:福岡でハーモニカの西川さんと一緒でした

節子
福岡に来ています。
節子がいなくなった後、初めて飛行機に乗りました。
福岡は久しぶりですが、節子がお世話になった人がいますので、早く来ようと思っていましたが、なかなか来ることができませんでした。

今日はあのハーモニカの名手の西川義夫さんにお会いしました。
西川さんとの出会いとその後のお付き合いは人の縁の不思議さを感じさせます。
節子が西川さんと最初に会ったのは、再発してからでした。
節子の看病に専念するつもりで開催した最後のイベントに西川さんは福岡から参加してくれました。
そしてその翌日、わが家に節子を見舞ってくれ、真紅のバラとハーモニカで節子を元気づけてくれました。
節子はうれしそうでした。

節子が逝ってしまい、みんなで送った日も、西川さんは遠くから来てくれました。
まさか西川さんが来てくれるなどとは誰も思っていませんでした。
娘たちも感動しました。
そしてその後また、自宅まで来てくださり、献花台の前でハーモニカを演奏してくれました。
この時は、節子が計らったのか、花かご会の人も献花にきてくれ、西川さんに無理をお願いしてもう1曲演奏してもらいました。

その西川さんに会いに行かなくては、とずっと気になっていたのですが、なかなか遠出する気になれませんでした。
やっと心身が動けるようになったので、思い切って福岡にくることにしました。
西川さんには空港に着いてから夕方までずっと付き合ってもらいました。
帰宅したら報告したいことがたくさんあります。
しかし今回は、西川さんと時間を共有することに意味がありました。
いろいろと考えることも少なくありませんでした。

西川さんに会ったら、まず感謝の気持ちを伝えようと思っていたのですが、会った途端に忘れてしまいました。
ずっと一緒にいたのに、その気持ちを言葉にできませんでした。
不思議な話です。
別れる時になってやっと言えそうになりましたが、結局、言えませんでした。
でも何か一つ終わったという気がしました。
節子が納得してくれたかどうかはわかりませんが。

私が来ることを知って、西川さんは2日間、完全に時間を空けておいてくれたようです。
多用なはずの西川さんが、です。
人との関係は、本当に不思議です。
西川さんのハーモニカのCDをもらいました。
帰ったら一緒に聴きましょう。

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2008/04/21

■節子への挽歌232:「心はからだの外にある」

先週、箱根に合宿に行っていました。
企業の経営幹部の研究会のアドバイザー役なのですが、議論していて、ギブソンのアフォーダンスの話になりました。
そこで以前読んだ「心はからだの外にある」という、河野哲也さんの本をみなさんに紹介したのですが、箱根からの帰路、その本の書名が気になりだしました。
「心はからだの外にある」。

河野さんは、「心は身体と環境の関係性に存する」というのです。
私の心は、環境と無関係に在るのではなく、私を取り巻く環境との関係において存在するというわけです。
すごく納得できる話です。
正確性には欠けますが、ここは思いつくまま気楽に書きます。

節子がいなくなって、半身が削がれただけではありません。
心が不安定になったのです。
確かに身体はここに在るのに、心はどこかに行ってしまったような気が、時々するのです。
「心ここにあらざるごとく」という言葉ありますが、まさにそんな感じで、自分の心がつかめなくなります。
そして冷ややかに自分を見ている自分(こころ)に気づくことがあるのです。

環境によって「心」は大きく変わります。
「気持ち」とか「考え」ではなく、「心」そのものがです。
節子がいなくなって、そのことを実感し続けていることに昨日、気づいたのです。
遺影に使った節子の写真を見ていると、心が安定します(他の写真は逆です)。
私の頃は、環境との間にあるとしても、その最大の環境は節子だったのです。
節子が遠くに行ってしまったために、私の心は自らの立ち位置を決められずにいるのかもしれません。
節子の写真の笑顔を見ていると、ちょうど中間に私たちの心が微笑んでいるような気がします。奇妙に実感できるのです。
私を見ているのは、写真の中の節子だけではなく、その写真と私の中間から眼差しが発せられているような気がしてなりません。
つまり、私自身が見られている感覚があるのです。

私の心を形成しているのは、しかし、節子だけではありません。
節子以外のあらゆる環境が、全体として私に働きかけ、私の心を実体化させてくれています。
環境によって揺れ動く私の心に大きな座標軸を与えてくれていた節子との距離感が代わってしまったことで、私の心はいまきっと不安定になっているのでしょう。
節子の心もまた同じように、いま私との距離感をつかめずに、不安定になっているのではないかと思います。

やっと気づいたの、修らしくないわね。
遺影写真の節子が、何だかそういって、笑ったような気がしました。
いや、笑ったのは私たちの心かもしれません。
私が気づかないところで、私たちの心は一体化してしまっているのかもしれない。
そんな気もします。

ギブソンや河野哲也さんの話とは全く違った話になってしまいました。
すみません。
これ以上書いていくと、危うい話になりかねません。
このあたりで中途半端に終わります。

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2008/04/20

■節子への挽歌231:家族を送るさびしさ

節子
今でも時々、節子宛の手紙が届きます。
DMや雑誌などが多いのですが、時々、何かの集まりのお誘いがきます。
先週、「憲法を考える市民の集い」の案内が届きました。
節子がよく知っている人が世話人をされている関係で、きっと名簿にリストされていたのでしょう。
その方は、節子の葬儀にも来てくださいましたので、もちろん節子のことは知っています。

こうした手紙を受け取った時、遺族はどう感ずるかです
私はいささか常識的ではないので、あまり一般論にはならないかもしれませんが、決して悪い印象はありません。
私の場合は、むしろうれしい気がします。
なぜなら、節子の世界に触れることができるからです。

家族を亡くしたことのある人はきっと体験されていると思いますが、家族が一人いなくなるとそれ自体が寂しさをもたらしますが、それだけではありません。
その人が付き合っていた世界との縁が薄くなるのです。
その分、お客様も電話も減ります。
話題も減れば、家族生活の多様性も減少します。
その影響はけっこう大きいのです。
家族を失う寂しさとは、そういうことです。

私はこれまで3人の同居家族を見送りました。
昨今の核家族の風潮の中では多いほうでしょう。
同じ家族でも、同居しているかどうかで、その寂しさは全く違います。
それは体験してみないと決してわからないでしょう。
核家族化の問題は、そうした実感を社会からなくしてしまったことではないかと思います。
死が体験ではなく、情報になってしまったのです。

節子への手紙は、たとえDMであろうと私にはうれしいものです。
しかし、そういう手紙もだんだんなくなっていくのでしょう。
ますます寂しくなりそうです。

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2008/04/19

■田母神空幕長の法を踏みにじる発言に耳を疑いました

朝日新聞の夕刊で、とんでもない記事を見つけました。

航空自衛隊のイラクでの空輸活動をめぐり、活動の一部が憲法9条に違反するという判断を含んだ名古屋高裁判決に対し、田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長は18日の定例会見で、隊員らの心情を代弁するとして、お笑い芸人の流行のフレーズを使い、「『そんなのかんけえねえ』という状況」などと述べた。判決が隊員の活動に影響がないことを強調した。
これは明らかに犯罪的発言だと思います。
司法の判断を「そんなのかんけいねえ」とは、どういう心境でしょうか。
犯罪者そのものとしか思えません。
まともな法治感覚や順法精神など微塵も感じられない発言です。
この人の家族はどう思っているのでしょうか。
彼には友人はいるのでしょうか。
もしいたら正してほしいものです。

シビリアンコントロールなど、「そんなのかんけいねえ」と思っているのでしょう。
こういう人は即刻懲戒解雇でなければ、おかしいと思います。
田母神さんのような良識など微塵もない人が、自衛隊では出世するのは、その性質上、仕方がないとしても、この種の発言に大臣が何も言わないとしたら、この国の防衛体制などは全く意味がないでしょう。
彼らが防衛しているのは、平和や国民の生活ではなく、自らの利権でしかないと思われても仕方がありません。
田母神さんのような人をのさぼらせた結果、どうなったか、ドイツや日本は体験してきました。
今の子どもたちの社会のおかしさも、田母神さんのような人たちが作り出しているのだと思います。
こういう人をとがめる仕組みのない社会は法治国家とはいえません。
法の権威を認めない人が、政府の要職を勤めているのは仕方ないとして、
この人の場合は、狂人に凶器です。
恐ろしい話です。

青山裁判官と田母神空幕長。
あまりの格差に驚きます。
彼が罷免されないようであれば、司法の権威は損なわれるでしょう。

関連最新記事
■田母神空幕長と自衛隊の本質(2008年11月1日)

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■節子への挽歌230:湯河原で暮らしているのですか

昨日から箱根で合宿をしていました。
予定より早く終わったので、帰りに湯河原に寄りました。
湯河原には、私の退職金で購入したマンションがあるのです。
わが家のバブル期の名残でもあるのですが、退職金が予定より多くもらえたので、それを頭金にして、投資にもなると勧められて購入しました。
しかし結果は投資どころか、バブル崩壊で頭金以上の借金が残りました。
管理費もバカにならないので、節子は早く売却しようと口では言っていましたが、ここが好きでした。
いろんな友人たちと時々来ていました。
ここは節子のお城でもあったのです。

年に2~3回は私と2人で来ました。
ここに来ると必ず箱根に行きました。
私たちは箱根がとても好きでした。
老後はここに転居する計画もありました。
節子が先に逝ってしまったので、もう転居することはありません。

そろそろ湯河原の生活時間を増やそうかと思っていた矢先の発病でした。
人生は予定通りにはいきません。
そんなわけで、湯河原で節子と一緒にゆっくり過ごしたことがあまりないのです。
節子と一緒の湯河原の思い出といえば、
今は国会議員になっているツルネン・マルティさんの自宅で、奥さんの手づくり料理をご馳走になったことくらいでしょうか。
まだツルネンさんが落選続きで苦労していた頃です。
私たちもたくさんの夢があった時代です。
節子の夢もたくさんありました。

マンションの窓から節子の好きな湯河原富士(節子の勝手な命名です)がよく見えます。
それを見ていると台所から節子が出てきそうな気がします。
再発してから、節子はもう一度ここに来たかったのでしょうが、私がそれに気づいた時にはもう遅すぎました。

ここに来るのは、節子が逝ってから2回目です。
前回は来た途端に涙が出てきて、すぐに帰りました。
今日もやはり長居は出来ませんでした。
細かなところに節子が宿っているようで、どこを見ても涙が出てきます。
みなさんには笑われてしまうでしょうが、いろいろなものに、節子が見えてきてしまうのです。
一緒に走ろうといって購入した自転車も1回しか使えませんでした。
節子が飾ってくれた花もそのままです。
ベランダに節子が植えたサボテンがいつの間にか2鉢になって大きく育っていました。

実はいま、帰宅してからこのブログを書いているのですが、
書いていて気づいたのですが、たしか1鉢だったはずでした。
どうしたのでしょうか。
もう少ししっかりと確認すればよかったですが、たしか2鉢あったような気がしてきました。

もしかしたら、節子はいまここに住んでいるのでしょうか。
今日は無理をしてでも一泊してくればよかったです。
夜になったら節子が帰ってきたかもしれません。
節子はここが本当に好きだったのですから。

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■データの取り扱いには注意しなければいけません

今日は私の失敗の話です。
昨日、仕事で合宿に出かけていました。
出張時もメールの関係でパソコンを持参するのですが、移動時間の電車や滞在するホテルでブログやホームページの原稿を書くようにしています。
今回は時間が比較的余裕があったのでいろいろと書き込みました。
そしてうっかりそれをすべてフラッシュメモリーに移動させました。
いつもはパソコンにも残しておくのですが、今回は残しませんでした。

帰宅して書いた記事を自宅のパソコンに移して作業しようとしたのですが、メモリーが見つかりません。
どこかでなくして来てしまったのです。
この2日間、3時間くらいかかって打ち込んだ記事がなくなってしまったわけです。
一度書いた記事を改めて書くことほど退屈なことはありません。
全く面白くなく、確実に内容は劣化します。
幸いに他のデータは入っていなかったのですが、
時々、かなり重要な情報を入れて持ち歩くこともあります。
もしそれをどこかに忘れてきたらと思うとゾッとします。
実は先週はそうしたメモリーを持ち歩いていたからです。

データの流出が時々事件として報道されますが、私もまたいつその加害者になるかわからなかったわけです。
なにしろ小さなメモリーの中に膨大に情報が入るわけですから、仕事をしている人の中にはけっこう持ち歩く機会もあるのではないかと思います。
悪意がなくても情報流出の犯罪者になる可能性を多くの人が持ってしまっているのかもしれません。
自動車や電子機器の使用は、そうした加害者になる潜在的危険性を高めることにつながっていることは否定できません。
生きていくことに内包されている、そうした加害性を、私たちはもっと強く意識していくことが必要だと、今回の失敗から痛感しました。

今日のブログは挽歌は書き直しましたが、時評はこの記事に変えました。
明日の更新予定のホームページは書きなおす気力が出てきません。

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2008/04/18

■橋下大阪府知事への共感

昨日の大阪での知事と市町村長との話し合いのテレビ報道を何度も見ました。
いろいろなことを考えさせられましたが、これまでどうも好きになれなかった橋下知事への共感度は一挙に高まりました。
彼の志に頭がさがります。

先ず考えたのが、「いじめ」です。
職場や学校での「いじめの構図」が象徴されていたように思います。
市町村長たちに傲慢な態度には驚きましたが、こうした人たちがのさばっていて、いじめの社会を作り出しているのでしょう。
目線の高さには呆れました。

次に感じたのは、自治会首長の誇りの無さです。
まさに支援に依存している生き方のために、現状をひきおこしてきたことへの責任感は皆無です。
社会を正そうなどという発想も皆無で、ともかくお金がほしいだけです。
お金があれば、サルでも職責は果たせるでしょうが、サルでももう少し自尊心はあるでしょう。

お金がもらえなければ、道はぼこぼこ、屋根も落ちると明言した人もいました。
呆れるどころか、笑い話です。

大阪府はだめになったのは、こうした市町村長にお金をむしりとられていたからでしょう。
お金をむしりとる人たちが行政を食い物にしていた結果が、現状です。

まちづくりにお金はそれほどいりません。
たとえばこんな事例もあります

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■節子への挽歌229:王興寺と法興寺(飛鳥寺)

節子
飛鳥寺は私たちにとっては思い出深いところです。
まだ結婚する前だったでしょうか。
私にとっては、憧れの寺院に節子と一緒に行けたので、とても強い印象が残っています。
奈良を別にすれば、一緒に最初に行った寺院が、飛鳥寺だったかもしれません。

その飛鳥寺に絡んだ話題が最近新聞をにぎわせています。
飛鳥寺の原型ともいわれている韓国の王興寺遺跡の調査が進んでおり、
年代的にみても同じ技術者たちが飛鳥寺を建立した可能性が高まっているというのです。
先日の朝日新聞にもよれば、王興寺とは文字通り、王が興した寺。
「飛鳥寺の仏舎利も技術者も百済と倭の王権間の交流がもたらしたものだったはずだ。
豪族の氏寺にとどまるものではないだろう」と國學院大学の鈴木靖民教授は話しています。
わくわくするような話です。
新聞にでていた王興寺の復元図は感動しました。

蘇我氏と物部氏が古代日本の中心者だと思っている私としては、とても想像力をとばせる話です。
ちなみに、飛鳥寺は当初、法興寺という名前でした。
王興寺と法興寺。
それを同じ集団が建立した。
古代の世界の広がりを感じます。

法興寺は元興寺とも呼んだそうですが、「がごうじ(元興寺)」は鬼を総称する言葉です。
蘇我氏が建立したと言われる元興寺は鬼を象徴しているわけですが、
もうひとつの鬼のルーツが蘇我氏と対立したと日本書紀に書かれている物部氏です。
「モノ」は古代では鬼のことです。
物部氏の祖は神武天皇以前に大和に君臨していたニギハヤヒです。
その系譜はスサノオにつながっています。
日本最初の王朝は物部王朝だったという歴史学者もいます。
物部、蘇我、そして天皇家。
蘇我と物部は同族で、親密な関係だったと書いてある古書もあります。
仏教問題で対立したなどというのは、藤原家の創作かもしれません。

節子に関係ない話を書いてしまいましたが、
節子がいたら、得々として我流の古代史を講義していたことでしょう。

ちなみに、節子の実家は滋賀県の物部です。
物部から来た鬼、それが節子に最初に会った時のイメージです。
「物」は鬼につながりますが、神にもつながります。

もう少し元気が出てきたら、一人で飛鳥寺に行ってみようと思います。
いつになったら行けるでしょうか。

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■憲法9条と平和的生存権

「空自イラク派遣は憲法9条に違反」という判決が出ました。
昨日の自衛隊イラク派遣の差し止めや派遣の違憲確認などを求めていた、市民3千人以上による集団訴訟の控訴審判決(名古屋高裁)です。
原告が主張していた「平和的生存権」に関しても、判決は平和的生存権を「憲法上の法的な権利」と認定し、「戦争への協力の強制など憲法9条に違反する国の行為により個人の生命が侵害されるような場合には、裁判所に違憲行為の差し止めを請求するなどの具体的権利性がある」と明言しています。
日本国憲法の前文には、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とあります。
これが「平和的生存権」の根拠ですが、この判決文は何度読んでも感動します。
いまの9条がある限り、戦争への協力の強制などを拒否できるということですから。
しかし、この判決に対する政府のコメントは、この判決の無力さを予感させます。
違憲判決にもなんら反応しない政府の体質はいまなお続いています。

今回の判決では、多国籍軍兵士を空輸する空自の活動について「他国による武力行使と一体化した行動」と述べ、武力行使を禁止した憲法9条1項とイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反すると判断していますが、小泉元首相の狂気に対して、ようやくまともな意見をいう裁判官が出てきたことは少し安堵します。
司法にもまだ何がしかの見識があるのかもしれません。
今回の判決をくだした青山邦夫裁判長のこれからに注目しておきたいです。

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2008/04/17

■節子への挽歌228:ひまわり

近くの中村さんが、ひまわりを持ってきてくれました。
道の駅で見つけたのだそうです。
節子と以前、ひまわりの花の話をしたのを思い出したのだそうです。

ひまわりといえば、昔、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが共演した映画がありました。
思い出しただけでラストシーンのひまわりの光景とともに悲しさがこみ上げてきます。
ソフィア・ローレンとマストロヤンニが共演した映画は、みんな物悲しいものがありました。
ましてやこの映画の監督はヴィットリオ・デ・シーカです。
反戦映画なのですが、反戦以上に哀しい映画でした。

愛することの悲しさ、愛する人との別れの辛さ。
そして愛した人との再会の哀しさ。
不思議なのですが、この映画を節子と一緒にテレビで最初の画面だけみた記憶はあるのですが、最後までみた記憶がありません。
昔、映画館で一緒にみたかどうかも思い出せません。
私自身、きちんとみたかどうかすら記憶がないのです。
にもかかわらず、節子も私も、この映画のストーリーは知っていました。
ひまわりをみると、その話が出ていたからです。

わが家の近くにひまわり畑があります。
夏はひまわりで一杯になります。
毎年、節子と一緒にそこに行って数本のひまわりを買ってきて飾っていました。
今年も、もうその季節なのかと驚いたのですが、中村さんが持ってきてくれたのは温室育ちのひまわりでした。
節子がいなくなってから、どうも季節の感覚がなくなっています。
なにしろ、私にとっては太陽がなくなってしまったようなものなのですから。

映画「ひまわり」の筋はこうです、

戦争に行ったまま終戦になっても戻ってこない、愛するアントニオを待ち続けるジョバンナは、アントニオがソ連の極寒の雪原で倒れたという話を聞いて、ソ連に向かいます。
ジョバンナはソ連に着き、写真を頼りに探し回るのですが、苦労の末、一軒の家を紹介されます。
その家を訪れると、幸せそうな妻子の姿。
真実を知り傷心したジョバンナは、そのままイタリアへの帰国を決めるのですが、駅で汽車を待っていると、事情を知ったアントニオが現れるのです。
しかし、ジョバンナは何も言わずに汽車に飛び乗り、涙を流し去って行くという、お定まりのラストです。
こう書いてしまうと、味も素っ気もないですが、ネットにあらすじが出ていますので、それを読んでもらえば、感動してもらえます。
映画の音楽はヘンリー・マンシーニですので、映画をみれば必ず涙が出るでしょう。

ひまわりを持ってきてくれた中村さんは、こういいました。

歩く姿がとても寂しそうだったので来られませんでしたが、先日、お見かけしたら元気そうに歩いていました。だから今日、やっと献花に来られました。
節子
しばらく前まではよほど寂しそうに歩いていたようです。
今も寂しさは同じなのですが、歩き方が変わってきたのでしょうか。
もしかしたら、変わったのは中村さんなのではないかという気もします。
風景は、その人の気持ちで大きく変わるものであることを最近つくづく感じます。

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■逃げ場の無い空間での身の処し方

先日、久しぶりに超満員の電車に乗りました。
乗ってから後悔しましたが、もう出られません。
どんどん中に押し込まれます。
すぐ目の前の人は、それまでつりかわを掴んでいたのが押しやられ、手を離さざるをえなかったのですが、その手を下に下ろす隙間がなく、手を上げたままです。
知人がいつか話していましたが、満員電車では置換の疑いをかけられないようにするため、手は上に上げておかねばいけないのだそうです。
それが納得できるような混雑状況でした。

電車で閉じ込められたことも何回かあります。
もう数百メートルで目的駅に着くという直前で事故で止まり、1時間以上かん詰になったこともありますし、新幹線で東京を出た途端に事故でストップし、結局、新横浜まで2時間かかって着いたこともあります。
そういう状況にあうと、どうしようもありません。

先日、千代田線に乗っていたら、肌寒い日だったにもかかわらず、車掌が何を思ったのかファンを入れました。
私の車両はそれほど混んでいませんでしたが、車掌の乗っている所は混んでいたのかもしれませんが、千代田線は、前にも書きましたが、寒くても冷房をよく入れる電車です。
しかし、乗客としてはどうしようもありません。

車内放送の音が大きすぎたり、何を言っているのか聞き取れないような音量だったりすることもあります。
これもいらいらして降りたくなりますが、時間を気にして時には、我慢して乗っています。精神的にはよくないです。

先日、風が当たる車内で考えたのですが、電車内は閉じられた逃げ場のない空間なのです。
しかし、そこで気づいたのですが、逃げ場のない空間は車内だけではありません。
私たちは、そうしたさまざまな逃げ場のない空間に閉じ込められて生きているのです。
だとしたら、従順にその空間の条件を受け入れていくか、あるいは空間の条件を変えていくしかありません。

でまあ、今日は会社に意見を送りました。
しかし、こういう瑣末で勝手な意見が事業コストを上げているのかもしれません。
返信不要とは書いておきましたが、海外協力援助事業者は迷惑かもしれません。
個人の感想を伝えることは果たしていいことかどうか、迷います。
しかし、できるだけこれからは発言していくことにしました。
もちろん行動も含めてですが。

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2008/04/16

■節子への挽歌227:時間を持て余しています

節子
最近の私は極めて健康的な生活を送っています。
朝、6時半に起きて、夜は10時に就寝。ベッドで報道ステーションを見ながら、11時には自然とテレビが切れて、私も寝ているという生活です。
これは私たちが目指した生活パターンでしたが、ほとんど実現したことがありませんでした。
なにやらお互いに忙しくて、就寝するのはいつも12時近くでした。
なぜお互いにあんなに忙しかったのでしょうか。
節子が再発してからはともかく、病気になってからも私はいつも何かをしていたように思います。節子も何かをしていましたが。
何をしていたのか全く思い出せません。

かなりの時間、パソコンに向かってたのは思い出せます。
節子からいつも怒られていましたから。
私のパソコンはメールの返事がほとんどでした。
いろんな人からいろんなメールが来ると、ついつい長メールをかいてしまっていました。
なぜこんなにメールが来るのかなと節子に言うと、あなたが出すからくるんじゃないのといつも言われてました。
そうだったかもしれません。
その証拠に最近はメールも少なくなりました。

それにしても、どうしてこんなに早く就寝できるのかわかりません。
不思議でなりません。
節子がいたころ、こんなにゆったりと過ごせたらよかったのにとつくづく思います。
節子も私も古館さんが好きでした。
感情的なのが私は好きでしたし、節子はあの歯切れのいいテンポが好きでした。
でもゆっくりと一緒に報道ステーションを見たことはあまりなかったですね。

最近は、本当に時間があまっています。
家事はむすめたちがよくしてくれます。
夜にはなにもする気が出てこなくなってしまったのです。
テレビもあまり見る気がしません。

半身を削がれるということは、こういうことなのかもしれません。

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■後期高齢者保険と世代間対立論理

ギリシア人は2000年以上前の遺産で生活しているとよく言われます。古代ギリシア人たちがつくりあげた文化の遺跡が、今もなお世界中の観光客を呼び込み、それに依存して生活している人も多いでしょう。
人間の社会は連綿と続いており、どこかで切り取ることなど出来ません。
人間は「個」として生きていると同時に、「種」としても生きています。

後期高齢者保険が問題になっています。
ほとんどの人がわからないままに導入され、混乱が生じているわけです。
導入の仕方が、あまりにお上発想に従っているのに驚きましたが、もう一つ気になったのが、制度の目的です。
若い世代への負担を少なくしようというわけですが、こうした発想に以前から違和感を持っていました。
「世代間対立」という言葉にもどうも違和感があります。
あまりに時間的要素が無視されているように思うのです。

人はいつか高齢者になります。
誰にもまわってくる生活の段階です。
高齢者問題は、すべての人にとっての問題です。
そうした視点が弱いように思います。

若い世代が高齢者の生活を支えるというのは、本当でしょうか。
たしかに税負担は働いて所得を得ている若い世代に負担能力はあるかもしれませんが、それはフローとしての金銭基準での話です。
いまの社会が平穏で便利なのは、若者世代の努力のせいだけでしょうか。
そうではありません。
先代の人たちの営みの結果として、今の社会があります。
なかには負の遺産もあるでしょうが、私たちの今の生活を支えてくれる正の遺産のほうが圧倒的に大きいでしょう。

フローで考えるか、ストックで考えるかによって、世界は全く違って見えてきます。
ある時点だけを切り取って、損得や負担の多寡を考えるのではなく、人のつながりの中で考えていくと、若者が高齢者を養うなどという発想にはどうしても違和感が出てきてしまいます。
若者が働けるのは高齢者が創りあげた環境のおかげかもしれません。
まあ、その環境に問題があるというのも事実ですが、
大きく考えれば、今の生活は先人たちも含めて、みんなの営為で成り立っているのです。

世代間を対立させるような発想や言葉は使いたくないものです。
若者も後期高齢者も、みんな鏡の中の自分なのですから。
過去の遺産に感謝し、その使用料を負担するという発想はできないでしょうか。
その使用料を高齢者に後払いするだけの話です。
それはいつか自分に回ってくるのです。
少子高齢社会の進行で、それが成り立たなくなるというのであれば、仕組みを大きく変えるべきですが、それは決して世代間の負担配分の話ではないはずです。
対立ではなく、一緒になって新しい仕組みを考えればいいのです。
金銭の呪縛から自由になれば、方法はいくらでもあるはずです。
小さな実験はこれまでもいろいろとあったと思います。

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2008/04/15

■節子への挽歌226:伴侶に先立たれた心の空白

昨日、日記のことを書いた後、ちょっと節子の日記を開いてみました。
最近のは辛いので、20年以上前の日記です。
日記を開いたら、新聞記事が出てきました。
節子が好きだった「ひととき」の切抜きでした。
節子の投稿記事かなと思ってみたら、違いました。
表題にドキッとしました。
「夫に先立たれ心に空白」
46歳の主婦の投稿記事でした。

夫の遺影に線香をあげて、その穏やかな顔を見つめて一言二言話しかける。
反応のないのはわかりきったことなのだけれど、どうしようもないいら立ちを感じる。
1年の闘病の後、伴侶は逝ってしまったそうです。
伴侶を亡くして49日を迎えようとしている頃に書かれたものです。
長い歳月かかって築き上げた土台を根こそぎさらわれてしまいました。
そして最後はこう締めくくられています。
今後、はたして「幸せだなあ」としみじみ思える日が再び訪れることがあるでしょうか。
いまの私の思いと全く同じです。
伴侶に先立たれた時の思いは、いつも、そしてだれも同じなのかもしれません。
どこの方か全くわかりませんが、今は「幸せだなあ」と思うことのある日を送られていることを祈らずにはいられません。

それにしても、節子はなぜこの投稿記事を切り抜いて日記にはさんでいたのでしょうか。
当時は2人ともいたって元気で、どちらかが先立つなどということは話題にもなっていなかったはずなのですが。

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2008/04/14

■国家による情報操作

聖火リレーの報道に関して、中国のテレビ放送の報道と日本の報道との違いは興味深い材料を提供してくれました。
実況報道の場合は、画面と音声を消去したこともあったようです。
北朝鮮と全く同じです。
しかし、おそらくこれは北朝鮮や中国だけの話ではないでしょう。
日本においても、程度の差はあれ、同じことが行われていると考えるべきでしょう。
事実、それを疑わせるような事件もあったような気がします。
それは、国家、もっと一般的ないい方をすれば、組織の特徴かもしれません。
こんな原始的なやりかたで情報操作が行われているわけです。

こうしたことを見せられながらも、私たちは相変わらず自国の政府が提供する情報を信頼する傾向があります。
それは何かを判断の根拠にしなければ生活していけないからです。
そうであれば、自国の政府の提供する情報に従うのが一番好都合です。
論理的に正しいと言うわけではありませんが、ほとんどの人はそう思っているはずです。
私自身も政府や組織に批判的な論を展開していますが、どこか心の奥では、政府に対する安直な信頼感があることを否定できません。
そうでなければ、生きていけない面もあります。

フランス革命も、結局は恐怖政治に陥ってしまったように、多様な価値観を束ねていくことは、一歩間違えば不幸な結果に陥りやすい危険性を持っています。
ですから、たとえ間違っていようと、あるいは嘘であろうと、それを国民みんなの共通の前提にする擬制が必要なのかもしれません。
もしかしたら、それが「最大多数の最大幸福」につながる一つの道なのかもしれません。

なにやらいつもと違う論調なのですが、そんな気がしてしまうほど、最近は陰鬱です。
野生より家畜のほうが豊かな生活を送れるかもしれません。
時にはデモも許されるのですから。

しかし、聖火リレーの火はいとも簡単に消せるのには驚きました。
チベットの火も、あれくらい簡単に消せると思っている人もいるのでしょうね。

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■節子への挽歌225:4月は思い出の月

節子
あなたの小学校時代の同級生の雨森さんからのメールです。
私信ですが、勝手に公開します(一部勝手に改ざん)。
こんな形で、私にきた手紙やメールは公開される可能性があります。
お許しください。

ご無沙汰しております。
『節子への挽歌』を読ませていただいております。
だから僕としてはご無沙汰しているような気はしないのですが、
悲しくなったり、ホッとしたり、幸せな気持ちになったり、
すごくなつかしくなったり、妻を大事にしなければと思ったり、
節ちゃんなんでそんなに早く逝ったのと残念さがこみ上げてきたりです。

僕はかなり前から3年連続日誌を書いています。
1ページに同じ日が3年ぶん書けるものですが、
既に書き終えた3年分の日誌と現在記入中の日誌を手元において書いています。 
書き終えた日誌の2005年4月11日曇り、  
この日の日誌の間からメモ紙がでてきました。
(写真で、そのメモを送ってくれました。懐かしい節子の字でした)

今日はお会い出来なくて残念でした。
奥様の一日も早いご回復をお祈りしています。
奥様に何か元気づけるものをと考えたのですが、
私の好きな作家の絵本を選びましたので 
どうぞ奥様にお読みいただけるとうれしいです。
また お二人にお目にかかれますことを楽しみにしています。
時節柄どうぞ ご自愛下さいませ。

雨森さんの奥さんも病気で通院していました。
丁度その日は奥さんの通院日で、雨森さんも病院にいっていたため、お留守でした。
それで、ご自宅の玄関に手紙と本を置いてきたのです。
私も一緒に行きましたので、はっきりと覚えています。
ちなみに、その時の本は星野富弘さんの「花の詩画集」です。
節子は星野さんの絵が好きでした。

雨森さんは続けて書いています。

そして、2006年4月8日の日記
7時30分拝観当番を終えて妻と西物部に迎えに行く。
そのまま北近江温泉にゆき和食を食べて2時間余り話す。
妻も同席する。やさしい旦那様で楽しくすごす。
4月は思い出の月です。
その日、私たちは雨森さんにご馳走になりました。
いろいろと思い出します。そう、私にも思い出の月です。
次は私たちがご馳走するはずでしたが、そうなったでしょうか。
記憶がありません。

節子も3年日記をつけていましたが、どう書いているか、どうもまだ読む気がしません。
節子が残した日記をどうしようか、悩んでいます。
読み出しても読み続けることはできないでしょう。

日記は読むより、書くほうが楽です。
でも雨森さんはこう書いてきてくれました。

1000回まできっと読ませてもらいますよ 節ちゃん
書き続けるエネルギーをもらいました。

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2008/04/13

■権力の乱用

いまさら取り上げるのもいかがなものかとも思うのですが、最近、自民党の福田首相や伊吹幹事長が発言した「権力の乱用」という言葉がずっと気になっています。
権力の中枢にいる人から、こういう言葉が出てくることをどう理解したらいいのか、おそらくそれは今の日本の政治状況の本質を読み解くための鍵ではないかと思うのです。
権力は上下関係を基盤にした概念です。
その上下関係を規定している価値基準を逆転させると、権力関係もまた逆転するのです。

最も弱いものが最も強くなることはよくあることです。
失うものがなければ被害は少ないわけですから、失うものという基準からは考えれば強くなれます。
こうした基準の転換が「革命」の出発点ですが、そうした発想の転換を封じ込めるのが教育の大きな役割です。
しかし、学習はそうした発想の転換を封じ込めはしません。
教育と学習の違いは大きいわけです。

日銀人事では4人も拒否されたといいますが、視点を変えれば、拒否しなければいけない人を4人も提案されたともいえるわけです。
しかし、権力者は自分の考えが正しいという考えをしますから、相手の反対だけが不条理に映ります。
そうした「自分の考えが正しい」という立場で、弱いものの立場を尊重しないことを、「権力の乱用」というのではないかと私は思っていましたから、権力の中心にある人から立場の弱い野党に対して「権力の乱用」などという言葉が発せられたことに、いささか頭が混乱してしまい、この数日、反応できずにいたわけです。
自らの権力の乱用の結果だという理解は、落ち目の権力者にはできないことなのでしょうか。
そして、本来の主権者である国民自体も、その発言をなんとなく受け入れてしまっている状況の危うさには、不安を感じます。

昨日書いた立川ビラまき判決横浜事件判決などを思うと、権力構造が崩れ出す予兆を感じます。
裁判官は、いままた「ヤニングの過ち」を繰り返さなければいいのですが。

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■節子への挽歌224:先に行くなんて「ずる~い」よ

節子
風邪を引いてしまいました。

節子も会ったことがあるSSさんからメールが来ました。
このブログを読んでしまったのです。

実は佐藤さんのブログを拝読していると、色々な意味で複雑な気持ちになるのです。
SSさんは、そう書いています。
実は、SSさんも最近パートナーを見送ったのです。
節子はパートナーも知っていますね。不思議な人です。
湯島に2人で来たこともあるし、ともかく一度会ったら忘れられない人たちですから。

いろいろと書いてくれた最後に、こう書いてありました。

私の本音のひとつ、彼が先に行ってしまったことに対してはちょっと「ずる~い」なんて思ってます。
実は私も節子に対して、時々、そう思うのです。
位牌の前に立って、声に出すこともありますから、節子には聞こえているかもしれません。
残されたものの悲しさや寂しさを、節子に体験させなくてすんだこともそうですが、俗世のわずらわしさから解放された節子が時にちょっとうらやましくなることもあるのです。
節子が先に行ってしまったので、私はいま悪戦苦闘です。
節子がいた時は、どんな悪戦苦闘も他の示唆や喜びにつながっていましたが、いまは単なる悪戦苦闘でしかありません。
苦楽を共にする人がいないということは辛いことです。
私の悪戦苦闘を、節子はきっとハラハラしながら見ているのでしょうね。

ところで、SSさんの母上も「節子」なのだそうです。
節子という名前に出会うと、それだけでもなぜか親しみを感じてしまいます。
今でも私は日に10回は「節子」の名前を口にしています。
今朝も、「節子、出てこいよ」と呼びかけましたが、聞こえましたか。

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2008/04/12

■犯罪の作られ方

犯罪者の作られ方に続いて、今度は犯罪の作られ方です.
立川反戦ビラ配布事件(立川ビラまき事件)の最高裁判決が出ました。
上告棄却で、有罪が確定です。
最近の最高裁の傾向から予想はしていましたが、実際にこうした判決が出てくると失望というよりも恐ろしくなります。
私たちは息苦しい時代に向かっているようです。
もしこの裁判に裁判員制度が適用したら、無罪もしくは軽い刑になると思いますが、裁判官たちはそうは思わなかったようです。

事件の概要はご存知かと思いますが、このブログでも2回ほど取り上げました
事件をご存知ない方はウィドペキアをご覧下さい。

概要は、立川市の自衛隊官舎で自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配った3人が住居侵入罪に問われた事件です。一審は無罪、二審は有罪でした。
ポストへの投函が住居侵入に成るとは思ってもいませんでした。
郵便や宅急便、あるいは新聞を届けてくれる人は毎回住居侵入しているわけです。
おそらくこの官舎には、それ以外のビラも配布されていたはずですから、反戦ビラであることが有罪の大きな理由です。
わが家の自宅のポストにもいろいろなビラが配布されますが、訴えたらそれもすべて犯罪になるのでしょうか。
自治会の資料などを無闇にポスティングできませんね。

私が恐ろしさを感ずるのは、判決もさることながら、被告の3人は逮捕された後、75日間勾留されていたことです。
ポストにビラを投函しただけで、75日も勾留できる仕組みに恐怖感を感じます。
ちなみに、一審では、政治ビラの配布について「民主主義の根幹を成し、商業ビラより優越的な地位が認められる」と指摘し、刑事罰を科すほどの違法性はないとして無罪とされました。
私にはとても納得できる判決です。
ポストに投函して75日も勾留。北朝鮮ではなく、日本の話です。
最高裁には、まだ戦争に加担した老人が生き残っているのでしょうか。

悪質な商業ビラは不問になり、反戦ビラは犯罪に仕上げられる。
自衛官たちと警察や検察、裁判官の仲間の世界に異を唱えると犯罪者にされてしまう社会の司法とは何なのか、良く考えてみなければいけません。
これは他人事では決してないのです。
私もつい先日、被疑者扱いされましたが、反発しないでよかったです。
権力者に逆らうとろくなことにはなりません。
従順に家畜のように生きるのがいいのかもしれません。
ちょうど、裁判官や警察官がそうしているように。

いささか腹立たしさが限度を超えたため、品のない書き方になってしまいました。
すみません。

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■節子への挽歌223:節子、写真から出てきませんか

節子
最近また、あなたのことが改めて愛しくて仕方がありません。
春が来たからでしょうか。

最近、私が自宅で一番落ちつくのは和室です。
和室でまだコタツにはいっているのですが、その正面に節子の大きな写真があるのです。
したがって、いつも節子から見られていると同時に、私も顔を上げると節子の笑顔が自然に入ってくるのです。
いまもそのコタツでパソコンをはじめたのですが、ふっと顔を上げたらあなたの笑顔に目が合いました。
その笑顔を見ていたら、不覚にもまた涙が出てきてしまいました。
あれほど愛していたのに、あれほど愛してくれていたのに、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
私には全く理解できないのです。
写真を見ていると涙が出てくるので、節子の笑顔がとてもきれいに見えてきます。
それに自分が愛した女性はきれいであってほしいと思いますので、実際以上にきれいに見えるようになるものなのです。
これは惚れた者の弱みですね。

節子の写真を見ていると飽きることがありません。
その写真の笑顔の後に、たくさんの物語があって、その一つひとつを思い出しているときりがありません。

節子
おまえに会いたいです。
おまえを抱きしめたいです。
おまえに抱きしめられたいです。
写真から出てきてほしいといつも念じるのですが、まだかなえられません。
私がそちらに行くしかないのでしょうか。
ほんとうにさびしいです。

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2008/04/11

■節子への挽歌222:湯島のオフィスはまだそのままです

節子
オープンサロンによく参加されていたFJさんが1年ぶりに湯島のオフィスにやってきました。
相談があるというので、私も湯島に出かけていきました。
最近はまた人に会うために湯島のオフィスに行くことが増えてきました。
節子の発病で中止していたサロンを、節子が少しずつ元気になってきたので再開した当初、FJさん一人しかこなかったことがありました。あれも、なにかの理由があったと思っていますが、その時、3人でいろいろと話したのを思い出します。
そのFJさんからメールが届きました。

湯島の事務所にお伺いいたしますと、たくさんのいろいろな思い出があふれて出てまいります。又そのときどきの心情がこみ上げてまいります。
不肖な私にとりましてもかけがえのない大事な場所でありますが、湯島での御礼室様に戴いた御恩を忘れられない人々は大勢おられます。湯島サロンでの帰り道で色々な人たちと、御礼室様のお心配りにいつも感謝の言葉を交わし乍ら帰ったことなど。わけ隔てなく接していただいた事など思い出すと際限なくあふれてまいります。湯島の事務所に
入ったとたんに思い出がこみ上げてまいりました。

FJさん特有の誇張がありますが、サロンに来てくださった方には、節子のほうが私よりは好かれていたのかもしれません。
私は時に嫌われても仕方がない発言もしましたし、中途半端な知識のひけらかしもしましたから、いやな人間に見られていたかもしれません。
節子からは時々注意されていたので、何とか許容限度内に収まってはいたと思いますが。

FJさんと同じく、私にも湯島のオフィスはさまざまな思い出があります。
閉じてもいいのですが、とても閉じる気にはなれませんでした。
この20年、節子と一緒に育ててきた空間だからです。
再発する直前に、節子は部屋をきれいにしようと言い出しました。
そして改装業者の人を手配し、先ず床のカーペットを貼り替えてくれました。
お金が無かったので壁紙は自分たちで貼り替え、ペンキ塗りもしようとしていました。
そうした作業をできるだけ自分たちでするのがわが家の文化でした。
しかし、その作業にはいる前に節子は再発してしまいました。
クーラーは私の責任で入れ替えましたが、私のいい加減な対応で設置場所を間違えてしまいました。
改装後、2回ほど、節子は湯島に行きましたが、修にまかせていたらこんな場所につけてしまうのだから、と嘆いていました。
その中途半端な場所に付いてしまったクーラーのまわりの無残な状況も含めて、湯島のオフィスは改装途中のままなのです。ペンキも置いてあります。
それに手を加える気持ちにはなれません。
節子が最後にここに来てくれた時のままです。
変わったのは、節子がいないことだけです。
とても悲しいですが、でもここで誰かに会っていると、いつもとなりに節子がいるような気がします。

節子
なんで改装を完成してくれなかったのですか。
もう一度、節子と一緒に壁紙はりをしたいです。
戻ってくるまで待ち続けます。ずっとずっと。

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2008/04/10

■節子への挽歌221:「少しずつ考えては立ち往生」

先日のコムケアフォーラムでお会いした小峰さんが、このブログに投稿してきました。
その内容に驚きました。
ブログのコメントにご本人がお書きになっているので、実名で書かせてもらいますが、小峰さんは昨年12月に奥様を見送ったのです。
全く知りませんでした。

私が小峰さんのことを知ったのは、コムケア活動のメーリングリストです。
小峰さんの印象は、子育て支援をしている元気なお父さんという感じでした。
先日、フォーラムで初めてお会いしましたが、思っていた通りの人でした。
その時は、お互いにまさか伴侶を亡くした者同士ということなど思ってもいなかったわけですが、投稿にあるように小峰さんは、「妻の死について、少しずつ考えては立ち往生の中で、このサイトに巡り合いました」というわけです。
そして私もまた、小峰さんの事情を知ったわけです。

小峰さんの「少しずつ考えては立ち往生」という気持ちがよくわかります。
先日、亡くなった柳原和子さんが以前メールしてきてくれたように、女性以上に男性は「立ち往生」してしまうのです。
それはきっとそれまでの生き方に大きく影響しているでしょうが、考えもしていなかった事態に直面してしまうと立ち往生しかないのです。
それでも私の場合は、娘たちがもう大きくなっていましたので、自分の身の振り方だけを考えればいいのですが、まだ成人していない子どもたちがいる場合は、事情がまた違うのでしょう。
小峰さんにお会いしたいと一瞬思ったのですが、お会いして何かが変わるわけでもありません。

昨年、知り合ったある人がやはり私と同じ状況の人でした。
その人とある集まりでご一緒していますが、お互いにそれぞれの事情を知りながら、その話はしたことがありません。
少なくとも私の場合は、どう話したらいいかわからないからです。
にもかかわらず、その人の発言の後に、いつもその事情を重ねてしまいます。
言葉には出しませんが、お互いに多分、いつもある思いを共有しているのかもしれません。

同じ事情を抱えていると人には優しくなれるものだと、この頃、痛感しています。
逆に事情に無頓着な人には過剰に不快感を持ちがちです。困ったものです、
いずれにしろ自分のセンシティビティが高まっていることだけは間違いありません。
それが生き難さと生き易さを同時に与えてくれています。
そのせいか、いささか疲れやすくなりました。
最近、かなり疲れがたまってきているような気がします。

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2008/04/09

■ガソリンの価格設定

最近また書く気を少し失っています。
それで今日もまた「無駄話」の類です。

ガソリン暫定税の廃止によって、ガソリンスタンドは小売価格をどうしようか迷ったようです。
しかし、迷う必要は全くなく、対応策は一つしかありません。
それは「出来るだけ早く価格を下げること」です。
これは自明のことですが、必ずしもそうはならなかったようで、税金がかかっているガソリンの在庫がある間は値段を下げないという所もあったようです。
そんな対応策はありえないはずですが、現にそうした選択を取る会社があったのは驚きでした。

なぜありえないかは説明するまでもないでしょう。
価格据置にしておくといつになっても売れないからです。
その結果、税負担のないガソリンまで売れなくなります。
しかも価格は次第に安くなりますから、いつになっても売れ残ります。
値下げの決断が遅ければ遅いほど、損失は大きくなります。
そんなことは、少し経営を知っている人は即座に分かります。

いくら下げるかも簡単な問題です。
15円下げるのが正解です。
消費者は即座に25円下がるとは思っていません。
でもまもなく25円下がることを知っています。
そうした状況で、15円下げれば、下がったという印象と売り手が損をしていると印象が残ります。
丸々25円下げたところもありますが、それは下げすぎですので、消費者からは馬鹿にされかねません。事実、馬鹿なのですが。
ここは「痛み分け」でなければいけません。

万一また暫定税率が復活したらどうでしょうか。
今度はできるだけ値上げを遅くするのが正解です。
最後の顧客が継続客になりえるからです。

まあ、どうでもいい話を書きましたが、この例にわかるように、世の中の価格設定の仕方は、ちょっと冷静に考えると間違っていると思われることが多々あります。
特に開店○周年の特売などで慣れない割引販売をする時に奇妙な価格設定が行われます。
わが家の近くのケーキ屋さんの周年特売は設定を間違えて、早々と売切れてしまい、わざわざ来店した人を失望させました。
顧客感謝ではなく、顧客に不快な思いをさせてしまったわけです。
安くすればいい話ではないのです。

ガソリンスタンドは薄利商売で存続が難しいと言われますが、存続が難しいのは薄利のせいではなく、考えていないだけの話かもしれません。

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■節子への挽歌220:敦賀の桜

節子
敦賀のお姉さんから庭の桜が送られてきました。
一昨年の今日、みんなで滋賀の多賀大社に行き、桜を見たのを思い出して、送ってくれたのです。
2年前の今頃は、少し不安はあったものの節子は元気で、各地の桜を見て回っていました。
三春にも行きましたし、どこかの夜桜も見に行きました。
私もかなり同行しましたが、あんなに桜を見た年はありませんでした。
どこの桜も見事でした。

桜に関する節子との思い出は、山のようにありますが、そのせいか、今年は桜を見るのが辛いです。
娘たちもそうなのでしょうか。今年はだれも桜を見にはいかなかったようです。

昨年もあまり桜を見に行った記憶はないのですが、それでも近くの桜は一緒に見ました。
自宅近くの手賀沼沿いの道には両側に桜が植えられています。
まだ若い樹が多いので、見事とはいえませんが、その下を2人で散歩して写真を撮りました。
その写真を一緒に見る機会がなかったのはとても寂しいです。
今もなお、私は節子の社員を見る気になれずにいます。

その道路の桜は先週満開でした。
ただおそらく手入れの仕方に問題があって、いささか見苦しい感じがします。
節子はいつも、行政の手入れの仕方に不満でした。
桜の樹の切り方が間違っていると残念がっていました。
道沿いのいささか無様な桜を見るたびに、節子のことを思い出します。

敦賀の桜は見えていますか。
お姉さんがぜひ節子に見てほしいとわざわざ宅急便で送ってくれたのです。
敦賀の桜も何回も見ましたね。
実に見事な桜が敦賀市内や周辺のいろいろなところにありました。
琵琶湖に桜を観に行ったこともありますね。

敦賀の桜を見ていたら、いろんな桜のことを思い出してしまいました。
だんだん辛くなってきました。
節子、せっかくの桜の季節なのに、なぜおまえはもどってこないのでしょうか。
また節子と一緒に桜を見に行きたいです。
そちらにも桜はあるのですか。
私も節子に宅急便で桜の花を送ってやりたいですが、送り方がわかりません。
誰か教えてくれる人はいないでしょうか。

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2008/04/08

■オリンピックというのは一体何のでしょうか

聖火リレーへの妨害事件は何やらやりきれなさを感じます。
善意の人たちが、なぜこんな形で争わなければいけないのかと思います。
世界で起こっているほとんどすべての争いの現場では、本来は争うべきでない人たちが争っていることが少なくありません。
自爆テロに巻き込まれるのは、いつも争う対象からは遠い人たちです。
戦場で戦っているのも、いつも戦争がなければ仲良くなれたであろう人たちです。
なぜそうした、本来は争う必要のない人たちが争わなければいけないのか。
そうした構図を象徴的に顕在化してくれているような気がします。

それにしても、オリンピックというのは一体何なのでしょうか。
選手のためにあるのでしょうか。
平和のためにあるのでしょうか。
娯楽のためでしょうか、金儲けのためでしょうか。
選手は、もしかしたら戦場の兵士のような存在なのでしょうか。
薬まで飲んで記録に挑もうとする活動がスポーツなのであれば、オリンピックは所詮はローマの剣闘士のレベルの話です。
こけおどしの開会式の演出には感動のひとかけらも感じないのは私だけでしょうか。

もっとおおらかなオリンピックというのはないのでしょうか。
それに勝利を独占しようとする選手も好きにはなれません。
1回優勝したら、後進にその喜びを譲るやさしさをもってほしいものです。
勝利を独占する発想は平和にはつながりません。
戦争している国の権力者たちが、殺しあう代わりに、走りあうような場にはできないものでしょうか。

つまらない記事ですみません。
今日は書くことが思いつきませんでした。はい。

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■節子への挽歌219:愛する人を失った人にどう声をかけたらいいか

愛する人を失った人に、どう声をかけたらいいでしょうか。
これは難しい問題です。
節子ならどうするでしょうか。

節子との別れの後、私には周りの人の気持ちを思いやる余裕もなく、自分の気持ちだけにしか気が向いていなかったことに、この頃やっと気づきだしました。
最近、気づいたのは、愛する人を失った人に声をかけることの難しさです。
節子との闘病を続けていた時期、愛する人を失った知人に声をかけることの難しさを体験していましたが、自分が当事者になってみると、そういうことをすっかり忘れてしまっていました。
きっと私の周りの人たちも、私にどう声をかけていいのか悩んでいたのかもしれません。

5日に大阪で行ったコムケアフォーラムで「おんなの目で大阪の街を創る会」の小山琴子さんに会いました。
会うなり、奥さんの時には何もできなくてすみません、と言われました。
その言い方に、小山さんがずっと気にしていてくれたことを実感しました。
節子は小山さんに会ったことはないかもしれませんが、コムケアの選考会で小山さんの発表を聴いていると思います。
小山さんは、大阪でとても実践的な活動に取り組まれています。
節子のことを話したことはないと思いますが、コムケアのメーリングリストで、節子の訃報を知ってくれていたのです。

私は会社を辞めてからまちづくりや市民活動にいろいろと関わってきました。
そのつながりの中では、ビジネスと違って、人間性や生活観が出てきます。
ですから私の後ろにいる節子が見えてしまうのかもしれません。
私の知らないところでいろいろな人が私たちのことを祈ってくれているのです。

東京のコムケアフォーラムに、節子も知っている乾さんや木村さんが参加してくれました。
忙しい中を、たぶん節子のことで私に一言話したくて来てくれたのです。
節子も知っているように、2人の性格は全く違いますが、その違いを象徴するようなスタイルで、私に一言言ってくれました。

訃報を知っていろいろな人が声をかけてくれましたが、声をかけられなかった人も少なくないようです。
やっと電話がかけられたといって、先週、新沢さんが電話をくれました。
新沢さんも節子には会っていないでしょうが、私より年上で、保育の世界の長老のお一人です。
その新沢さんにしてもすぐには電話がかけられなかったようです。

愛する人を失った人にどう声をかけたらいいか。
当事者になって、やっとその解が見つかりました。
愛する人を失った人の思いは、愛する人に向いています。
そのまなざしを共有することではないかと思います。
愛する人へのあたたかなまなざしを感じることができれば、どんな言葉でもうれしいのです。
逆に、そうしたまなざしが伝わってこないと、どんな言葉も空しく響きます。

言葉ではなく、まなざしとそれが向いている先なのだと、最近やっと気づきました。
愛する人を失った人たちに対して、私はそうしたまなざしを向けていただろうか。
大いに反省しなければいけません。

節子
あなたのおかげで、また少し人生が豊かになりました。

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2008/04/07

■民意とは何なのか

「軍縮問題飼料」5月号の「読者の声」に、こんな記事が載っていました。

民意とはなんなのか。小泉政権下の衆院選では自民を圧勝させた。安倍政権下では民主を圧勝させた。
そして、他の事例もあげた後、その方は「民意に確かな視座はあるのでしょうか」と書いています。

政治家もよく「民意」という言葉を使います。
多くの場合、自分が考えている考えを裏付ける場合に使うことが多いようですが、人によってその内容に込めている意味合いは正反対の場合すらあります。
「民意」は、いつも多様なのです。

確かな視座ではなく、多様な視座が民意の実体です。
にもかかわらず、「民意」は合意形成しうるものと考えがちなところに大きな落とし穴があるように思います。
合意形成が必要なのは、個々の「民」ではなく、民を統べる「公」の側なのです。
「民意」とは政治家にとって便利な言葉でしかないように思います。

人々が持っている多様な意思を「民意」に収斂する必要はありません。
異質さを認め合う関係をどう構築していくかが重要です。
そう考えれば、二大政党制という政治体制が誰のものであるか明確です。
民主主義を目指すのであれば、克服すべきものです。
異質さの中から出てくる合意と異質さを合意させるのとは全く違ったものです。

ネグリの「マルチチュード」を民主主義のために結集するには、多様な意思を大切にしながら、多様さをまもるための行動力に顕在化させる仕組みが必要かもしれません。
ネグリの日本での講演会は実現しませんでしたが、マルチチュードから学ぶことは少なくありません。

ちなみに、冒頭の投稿の自民と民主の圧勝は、要するに自民も民主も同質だということの現われかもしれません。
多様な民意がもはや日本には存在しないのではないかと、この頃、思えて仕方がありません。

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■節子への挽歌218:みんなの心に生きつづけていることのうれしさ

節子
友人から、その後、奥さんのお加減はいかがですかとメールがきました。
私の友人知人にしっかりと伝えていないこともあって、まだ知らない人もいるのです。
こういうメールが来ると、節子はいろんな人の心の中に今もなおいるのだなと思います。
その人に、節子との別れを伝えました。
返信が届きました。

まだ若かりし頃、佐藤さんのオフィスにうかがうと
いつもいらっしゃって、やさしく接していただいたことを思い出します。
一度ご焼香にうかがえればと思っております。

彼は今ではある有名な雑誌の編集長ですが、湯島に来てくれていた頃は湯島のオフィスを開いたころでした。
それまで専業主婦だった節子と一緒に湯島にオフィスを開き、仕事するでもなくしないでもない奇妙な生活を始めた頃でした。
実にさまざまな人がきました。
財界で活躍され、地方分権にも取り組まれた諸井虔さんがやってきて、節子と3人で2時間近く話をしたこともあります。
かとおもうと、社会からほぼ逸脱して生きている若者や老人もやってきましたし、大学教授や浪人の若者もやってきました。
私は社会の豊かさを実感させられ、以来、誰で喪に開かれたオープンサロンを始めました。
私には実に面白かったのですが、節子に退屈だったようで、一時は湯島に行くのが嫌いになっていました。
概念だけの言葉の世界は、節子にはあまり居心地が良くなかったのでしょう。
節子は土とふれあい、暮らしにつながる話が好きでしたから。
その種の話になると、ちょっとだけ話に参加してくれました。

でも、こうして当時、節子に出会った人が節子のことを覚えてくれていることは本当にうれしいです。
たくさんの人の心の中に、元気だった頃の節子がきっと今でも生きつづけているのです。
人はそうして、生きつづけていくのかもしれません。
いまも目の前に節子の笑顔の写真がありますが、私の心の中には笑顔も泣き顔も怒り顔も、みんな生きつづけています。

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2008/04/06

■お金がなければ活動ができないNPO

昨日、大阪のNPOの集まりに参加しました。
開催前に発表する団体の人やスピーカーの人たちと打ち合わせも兼ねて食事をしました。
私もその集まりを応援していたため、そこにも参加しました。
集まったのはしっかりした活動をしているNPOに関わっている人たちでした、
一人を除いて、私は初対面でした。

ところがです。
最初に出てきたのが、お金の話でした。
一つの団体が助成金を獲得したので、それが話題になってしまったのです。
NPOとお金の関係には嫌なものを感じている私としては、ちょっと引いてしまう話でした。
休日に自費で大阪にまできたことを後悔しました。
気分が滅入ってしまい、たぶん初対面の人たちに対して冷ややかな会話をしてしまったのではないかと反省しています。

ところで、またところで、なのですが、
その人たちがスピーカーになってのフォーラムは、実に面白かったのです。
お金との関係もきちんと距離感をもって議論が進んでいきましたし、自分たちの活動体験から助成金頼みは駄目だということが説得力を持って語られたのです。
始まる前のお金談義は、大阪ならではの話であり、本当はだれも助成金頼みなど思っていなかったのです。
最近、金銭志向の強いNPO関係者の話に触れることが多いので、私が過剰反応してしまっていたのです。

NPO関係者の集まりには私は基本的に参加しません。
なぜかと言うと、お金の話ばかり出てくるからです。
こから助成金をもらえるか、どうしたら助成金をもらえる申請書が書けるか、そんな話が飛び交う場は、本当にいたたまれないのです。
お金に依存している限り、市民活動は期待できません。
現在のような金銭至上主義の社会のあり方にこそ、ほとんどすべての問題が起因すると思っている私にとっては、市民活動は金銭からいかに自由になるかが発想の根底になければならないのです。
お金がなければ活動できないNPOは、現在の社会を補強する機能しか果たせない。
極端にいえば、私には有害無益の存在です。

それに助成金で活動している組織と付き合っていて感ずるのは、お金の使い方が「自分の財布」とは違うような気もします。
税金を使っている官僚や政治家と同じ匂いを感じます。
そしてそこに奇妙な企業や似非社会起業家が入り込んでくるのです。

かなり過激なことを書いてしまいましたので、NPOに取り組んでいる仲間たちからはまた嫌われそうですが、それが正直な気持ちです。
お金から自由になる活動をめざさなければいけません。
そんな非現実的なことを笑われそうですが、具体的なシナリオはもちろんあります。
いわゆる地域通貨、コモンズ通貨を使えばいいのです。
悪貨は良貨を駆逐する流れの中で、それは繰り返し挑戦し失敗してきた歴史を持っています。
私もその小さな実験に取り組んだことはありますが、入り口で止まっています。
ジョンギです。どなたかやってくれる人はいないでしょうか。
しかし、たぶんまもなく市民セクターは自分たちのコモンズ通貨を持ち出し出すでしょう。そうしなければ市民セクターは自立できないはずですから。

その時にはお金がないからなどという市民はいなくなるでしょう。
昨日のフォーラムで、みなさんの話を聞いていて、改めてそう思いました。
実際に活動していくと、助成金などがどれほど「麻薬効果」を持っているかに気づくのです。
ですから、お金論議をしているNPO関係者はまもなくお金から卒業できるでしょう。
そうなって困るのは、誰であるかは少し考えればわかります。
金融資本主義は早晩破綻するでしょう。
お金がお金を生みだすなどいう不条理が長続きするはずがありません。

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■節子への挽歌217:節子がいなくなったのに、なぜ自宅に吸い寄せられるのか

節子、昨日、久しぶりに新幹線で大坂に行きました。
1年ぶりの遠出です。
とても不思議なのですが、節子がいなくなってから、どうしても遠出する気になれなかったのです。
それだけではありません。
なぜか自宅を離れるのも辛くて、原則として明るいうちに帰宅するようになりました。
自宅に帰っても節子はいないのですから、むしろ早く帰る理由はないのですが、節子がいた時よりも、なぜか足が自宅に向かうのです。遠出もそうです。
久しぶりの大坂なので、いろいろな人に会うために宿泊しようとも思ったのですが、その気にはなれませんでした。

なぜそういう気持ちになるのでしょうか。
帰宅しても、「おかえりなさい」という節子の声が聞けるわけではありませんし、その日のことをしっかりと聞いてくれる節子もいません。
むすめたちに話しても意味がないでしょうし、伝わりません。
40年かかって創り上げてきた2人の世界での以心伝心は、そこでは成り立たないからです。
にもかかわらず、自宅に帰らなければという意識が、心の心身に強く働きかけてくるのです。
まるで節子がわが家にいて、私を吸い寄せているような気がしてなりません。

しかし帰宅したからといって、何かが起こるわけではありません。
節子の位牌に灯をともして声をかけても、写真の中の節子は微動だにしないのです。
少し帰宅が遅くなって、一人の夕食になる時には、むすめが節子の写真を食卓に持ってきて、「お母さんに話しながら食べたら」といいますが、食卓の節子の反応はありません。

もっとも最近は、反応がなくてもいいではないかという気がしてきました。
最近知ったのですが、反応なく一緒に時空間を共有することを「共在」というのだそうです。
人類学者の木村大治さんの造語です。アフリカでのフィールドワークの興味ある調査結果を読ませてもらいました。
コミュニケーションの問題を考える上で実に示唆に飛んだ話のように感じます。
そう感ずるのは、私だけかもしれません。
最近、コミュニケーションに関する議論が私の周りでも多いのですが、私のコミュニケーションの捉え方はますます特殊化し、なかなか議論に入り込めなくなってきています。
節子とのコミュニケーションが、今の私にとっての最大の関心事だからかもしれません。

節子、いつになってもおまえから離れられません。
節子が心配していたとおりになっています。
困ったものです。

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2008/04/05

■ホームレス社会とゼロトレランス社会

今日、大阪の釜ヶ崎地区でホームレス支援をしているグループの人に会いました。
数年前に、ささやかに支援したグループです。
活動はいろいろと話題を呼んでテレビなどでも取り上げられましたが、活動の継続はなかなか難しいようです。

格差社会の進行の中で、最近、ホームレスのニュースがしばしばテレビで特集されます。
ホームレスというと、野外生活者のことを私たちはついついイメージしてしまいますが、たとえばアメリカなどではホームレスはもっと広義に捉えられているようです。
最近は日本でもネットカフェ難民などという言葉で、ホームレスの捉え方が広くなっているようです。

ところで、ホームレスの「ホーム」とは何でしょうか。
ハウスレスとは言わずに、なぜホームレスなのでしょうか。
それがちょっと気になりだしています。
手元の英和辞書を見てみたら、一般にhouseは建物を意味するのに対し、homeは建物のほかに家庭生活の場としての快適さ、暖かさを含む」とあります(New Century)。
ホームがもし「家庭」や「家族」を意味するのであれば、日本にはホームレスはもっとたくさんいるかもしれません。
いや日本の政治経済政策は、ホームレス増加に大きく加担してきたのではないかとさえ思います。

定義はともかく昨今のホームレス状況の増加は気になります。
以前、ある集まりでウィークリーマンションで有名になった川末さんが、会場に向かって、みなさんの何割かは将来ホームレスになります、と話していましたが、まさにそうした状況に向かって事態は進んでいます。
私は幸いに自宅があるので、大丈夫ですが、昨年の年収は年金を入れても、妻の医療費とほぼ同額でした。自宅と年金がなければホームレスになってもおかしくはありません。
決して他人事ではないのです。
そしてこれは世界的に進んでいる状況なのです。
経済や科学技術や政治が、私たちを豊かにしているなどというのは全くの幻想かもしれません。

そうした中での、ゼロトレランス政策やゼロトレランス世論の進行。
やりきれない気がします。

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■節子への挽歌216:空き地の花壇に椅子を置こうかと思います

節子
今日は報告です。
きっとあなたにも喜んでもらえると思います。

自宅近くの空き地で、節子は家庭農園に取り組んでいました。
その空地は、ハケの道に面しており、散歩で通る人も少なくありません。
道に面したところは花で一杯にしようと花壇にしました。
作業をしていると(私もたまにですが手伝いました)通る人から「ありがとう」と時々言われました。
昨年は農園主不在で手入れが出来ませんでしたので、花が雑草に負けてしまっていました。
今年は娘が中心になって、手間をかけずにすむ花を選んでいこうと考えています。

そこにベンチを置いたらどうだろうかと思いつきました。
道からかなり段差があるので簡単ではないのですが、ベンチを置いたら、散歩している人がちょっと休んでくれるかもしれません。
もっとも両側は民家なので、注意しないと迷惑をかけることになりますから、もう少し考えて見なければいけません。

こう考えた契機は、友人の木原孝久さんの「月刊住民流福祉」(この機関誌は私の愛読誌です)の2月号で「ちょこっとベンチ」の話を読んだことです。
主役は、社会活動などには興味のなかった長瀬さんの話です。
ボランティア活動をしていた奥さんが胃がんになり入院、退院した途端に今度は自分が急病で入院することになった長瀬さんが、入院中のベッドで真っ先に思い浮かんだのが、「この状態で、俺はどうしたら社会の役にたつだろうか」ということだったそうです。
そこで思いついたのは、「そうだ、家の前にベンチを置こう。うちの前の坂は、途中で休まないと上がれないくらいキツイから、ベンチを置いてあげたい。それで通る人に声をかけたいな」ということだったのです。
そこで退職した職人グループに依頼してベンチを作ってもらい、自宅前に設置したのだそうです。
ベンチはいろいろな人でにぎわい、人と話すのが好きな奥さんは自宅にいながらにして、いろいろな人と出会い、話せるようになったのです。
そして奥さんは、最後の最後まで生き生きと自分を生きられたそうです。

この記事を読んだ時、私はとても反省しました。
もっともっとやれることがあったのではないか。

節子
遅すぎたかもしれませんが、空地にベンチを置くことを考えたいと思います。
無理かもしれませんが、節子に「あなたは口だけなのだから」と言われないように、がんばってみます。
応援してください。

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2008/04/04

■手段は目的を駆逐する

悪貨が良貨を駆逐する、というグレシャムの法則があります。
今日は「手段は目的を駆逐する」という法則の話です。

私もささやかに関わった、企業活力研究所の人材育成研究会が「企業ミドルマネジメントが十分な役割を果たすために」というタイトルの調査研究書を発表しました。
ホームページなどで何回か言及してきたこともありますが、この研究会では今回はミドルマネジメントの活性化がテーマだったのです。
全国1000人の企業ミドルマネジメントのアンケート調査や事例研究などを踏まえて、具体的な提言も盛り込まれているので、関心のある方はぜひご覧下さい。
企業活力研究のホームページに掲載されているはずですが、まだ載っていないとしたらまもなく掲載されると思います。

私がこの研究会の議論で気づいたのは、日本の企業には相変わらずマネジメントが不在なのではないかということです。
組織のフラット化が流行ですが、フラット化によってマネジメント概念が軽視されてきているのではないかと思います。
ピラミッド構造で仕事をしている場合、マネジメントというよりも管理や統制(コントロール)が効果的ですが、フラットな人間関係の中で効果的な仕事をしていくためには、まさに異質を束ね活かしていくマネジメントが重要になってきます。
日本でマネジメントが軽視されてきた原因の一つは、プレイングマネージャーの普及です。
この研究会でも話したのですが、プレイングマネージャーは、人減らしの手段ではなく、現場を知ることがマネジメントにとって重要な要素だという認識に基づくものだったのではないかと思います。
しかしいつの間にか、基軸が逆転してしまい、マネジメントは不在になっていきます。
そのひずみが、今の日本企業に現れているような気がします。

目的と手段の基軸が逆転することはいろいろなところで起こります。
たとえば企業には昔、企画調査部と企画管理部というのがありました。
企画のために調査や管理が必要だという発想から始まったところが多かったと思いますが、管理や調査という仕事がわかりやすいために、ほとんどの場合、企画はおろそかにされました。

目的と手段の関係は、いつも手段がわかりやすいために、力を持ち始め、中心になりがちです。
企業も政治も、もっと目的に戻って何が優先されるべきかを考えなければいけない時期になってきているように思います。
人生も、そうですが。

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■節子への挽歌215:「幸せ」は、その時には気づかないものなのかもしれません

昨年の今頃、私の最も幸せな時間の一つは、節子の足裏マッサージでした。
毎日、2~3回、官足法という足裏マッサージをしていたのです。
それまで歩行も困難だった節子が、専門家の岡山さんにマッサージをしてもらったら痛みが消えて歩けるようになりました。
私たちが奇跡を感じた最初の体験でした。
以来、岡山さんから教えてもらった方法で、私が毎日、節子の足をマッサージしました。
棒で気絶するくらい強く足裏をマッサージするので、節子も大変でした。
痛くても辛そうにせずに、笑顔でいなさいと岡山さんはいうので、落語や綾小路きみまろの漫談テープを聴きながら、気を紛らせていたものです。
午前中の場合は、毒蝮さんのラジオが定番でした。
そういえば、1日1回は、一昨日書いた濱口さんから教えてもらった瞑想のCDを聴きながらでした。
思い出してきたら、とても辛くなってきましたが、1年前は足裏マッサージが出来たのです。
今から思うと、とても幸せな毎日でした。
毎日2時間くらいを、足裏をマッサージしながら、節子との時間を共有していたのですから。

「幸せ」は、その時には気づかないものなのかもしれません。
後になって後悔しないように、今の幸せを大事にしたいものです。
節子と一緒にいた頃の「幸せ」は、あまりに日常的で幸せなどをあまり意識したことがなかったように思います。
節子が言っていたように、何もないことの幸せをもっと大事にし、感謝しておくべきでした。
みなさんも、ぜひ「今の幸せ」を大事にしてください。
余計なお世話ですみません。

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2008/04/03

■犯罪者のつくられ方

昨日、いささか不愉快なことがありました。
警察官から「犯罪者の疑い」をかけられたのです。
事の顛末はこうです。

来客があるので、自転車でペットボトルを買いに出かけました。
途中、天神町交番の前を通りました。
そこで呼びとめられたのです。
私が乗っていた自転車に盗難防止関係の登録票が付いていなかったのだそうです。
この自転車は折りたたみ式のもので、自動車に搭載ていたのを、湯島に自動車で来た時、置いていったものです。
購入時には、特に登録を勧められませんでした。
来客の関係で急いでいたのですが、身分証明書の呈示を求められました。
少し待ってほしいというので待っていると、本署に電話しているようです。
何をしているのかと訊いても、ちょっと待ってくれと言うだけです。
5分ほどたっても電話はかからないようです。
出ないなと2人の警察官はつぶやいています。
私もいささかいらいらしてきて、電話番号を教えるから買いに行けせてほしいと言いましたが、ともかく待ってくれというのです。
若い警官に、登録票をつけないといけないのかと訊いたら、つけるのが義務ですが、罰金などはないですと答えました。
それで高齢のほうの警察官に、義務だったらなぜ自転車販売の時にそうなっていないのか、私は自転車を盗んだと疑われているのか、私のことを名前や電話を訊いているのに、なぜ自分は名乗らないのか、と少しきつく質問しました。
彼は「山下」だと名乗りました。
若い警官に、余計なことを言うなという感じで怒っていました。
対応は柔らかですが、答はともかく待ってくれ、協力してくれと言うだけです。
しかし警察署への電話は一向に伝わりません。
トランシーバーのようなもので、連絡を取り出しましたが、それも通じません。
まあ、こんな事件だからいいですが、緊急を要する事件であれば、大事です。
文京区元富士警察署はまじめに仕事をしてないのではないかと思いたくなります。
ますます腹立たしくなりました。
時間が無いのでともかくペットボトルを買って、また帰りに寄る事を再度申し出て、やっと了解を得ました。
帰りに寄りましたが、まだ連絡がつかないようです。
おかしいと山下警察官はつぶやいていましたが、おかしいと言って済む話ではないだろうと思いました。
それですむなら警察官は気楽な職業です。
結局、電話と住所を伝え、何かあれば連絡してほしいと言って、オフィスに戻る事にしました。
来客を待たせては申し訳ありません。
それに対して、「何もないと思います」と山下さんはいいました。
完全に怒る気をなくしました。
謝罪の電話があるかと思っていましたが、結局、その後なんの連絡もありませんでした。
人間としての基本的なルールも知らない山下さんでも警察官は務まるのです。

いささかの腹立ちに任せて冗長に書いてしまいましたが、この15分の体験でいろいろな事を感じました。
被疑者の気持ちも少し実感しました。
呼びとめた理由も説明せずに、また何をしているかも説明せずに、「協力してほしい」ということは成り立たない話です。まさに「お上」の姿勢です。

今日のタイトルは「犯罪者のつくられ方」としましたが、今回、私は被疑者になったわけですが、そこから犯罪者に進むのはもう一歩です。
そして冤罪がつくられるわけです。
尋問した警察官から逃げて事故で死んだ若者がいました。
私ももう少し急いでいたら、自転車で走り去ったかもしれません。
その瞬間、犯罪者になるわけですが、警官は「犯罪者の生産者」でもあることを今日は実感しました。
産業のジレンマの構造は、警察行政にも見事に存在しています。
深刻な問題を持ち込んでも対応してもらえない話をよく聞きますが、彼らの役割は何なのでしょうか。

念のために言えば、私は「交番」の存在は大事だと思っています。
山下さんの対応は形式的にはていねいでした。
しかし、先ず人を疑うことからはじめることは間違いだと思っています。
人を疑うことを基本にした治安行政は見直されるべき時期に来ているように思います。

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■節子への挽歌214:友人から聞いた「危うい話」

節子
先週、またリンカーンクラブの武田さんに会いました。
その武田さんが不思議な話をしてくれました。
以前にも2度ほど聞いたことがあるのですが、今回はなぜか心にすっと入りました。

たぶん昭和38年か39年の話です。
武田さんは、渋谷で私に会ったというのです。
2人とも学生の時代です。
そしていうまでもなく、武田さんと私はまだお互いに知りあってはいません。

私と武田さんが知り合ったのは、それから15年後です。
情報問題を考える会で一緒になったのですが、その時、武田さんは15年前に私に会っていたことを思い出したのだそうです。
私がその話を聞いたのはずっと後になってからです。

そんなことってあるでしょうか。
その頃、私が渋谷を歩いていた機会はそう多くないはずですが、月に数回は歩いていたはずです。
武田さんがいうには、井の頭線に向かうデッキだというのですが、渋谷にはいつも井の頭線で行っていました。
ですから武田さんとすれ違う可能性はゼロではありません。
しかし、知りもしない人の出会いが記憶に残ることはあるでしょうか。
そんなことがあるとすれば、武田さんとはなにか因縁があるのかもしれません。
そうだとすると、来世もまた武田さんとの付きあいがあるのでしょうか。
いやはや、困ったものです。

それはともかく、今回は、この話が妙に気になって仕方がないのです。
これは時間の乱れかもしれません。
時間は必ずしも一方向的に規則正しく流れているわけではないでしょう。
だとすれば、時間の破れのなかで、節子に会えるかもしれないのです。
先日書いた私が死後の現世に迷い込んだように、節子が迷い込んでくるかもしれませんし。

人の出会いとは、本当に不思議です。
最近、この世が奇妙に幻想的に感じられるようになりました。
私の削がれた半身に、彼岸の節子が入り込んできたせいでしょうか。
武田さんの「危うい話」が、私の「危うい話」になりそうです。
このあたりでやめておきます。

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2008/04/02

■節子への挽歌213:「死」との付き合い方こそが社会のあり方を決めていく

もう一度だけ、「死」の話です。
毎日のように「死」が報道されています。
それも家族によってもたらされる死の事件が少なくありません。
かけがえのない伴侶を病気で失った私にとっては、なぜそんなことが起こるのか、不思議でなりません。
「死」以上に辛く悲しいことがあるのかもしれませんが、「死」を生きることの選択肢にしてほしくありません。
「死」を選択肢にした人は、「死」の後も生きていくと考えているのでしょうか。

「死にまつわる報道」の多さは驚くほどです。
事実だけではなく、ドラマや映画でも、最近は「死」が扱われることが多くなってきているように思います。
たしかに「死」は、ニュースにもなりやすいですし、ドラマにもしやすいでしょう。
しかし、昨今のように安直に扱われる風潮にはいやな気がします。
事件の報道の仕方も気になります。
「死」が対象化され、物語化されすぎているような気がします。
それがまた次の「死」を触発するのではないかと心配です。

かつては、「死」は日常的な体験の風景だったという人がいます。
それが、いまや「隔離された事件」になっているというのです。
「死」が「体験」ではなく、「知識」や「情報」になったわけです。
そのため、「死」の語り方が変ってしまったのかもしれません。

私は妻の死を体験する前に、同居していた両親を看取る体験をしています。
その死を日常的に乗り越えられたのは、妻のおかげです。
そして、節子の死を乗り越えられたのは、むすめたちのおかげです。
私にとって、「死」は決して「事件」ではなく、「日常」でした。
事件は忘れられ風化しますが、日常は決して忘れられることなく日常化します。
元気になりましたか、と時々、訊かれますが、この質問には戸惑います。

核家族化が進む中で、「死」との付き合い方は大きく変わってしまったような気がします。
社会が脆くなっている大きな原因の一つは、核家族化だと私は思っていますが、伴侶との死別を体験して、改めてそう思います。
「死」は「生」とは全く次元の違う話だと思いますが、「死」との付き合い方こそが社会のあり方を決めていくのかもしれません。
その基本にあるのは、家族のあり方です。

節子の死を体験してから、「死に対する報道」の受け取り方が変ったような気がします。

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■新銀行東京に集まる人たち

都議会は新銀行東京への追加出資を認めました。
いったん動き出すと止められなくなるのが、お金の世界です。
ここで追加投資しないとこれまでの投資が無駄になるといわれると、ついつい追加投資してしまうわけですが、これは詐欺事件の典型的なプロセスでもあります。

この銀行ができた直後、資金繰りに困っていた私の知人の企業経営者が融資を申し込みました。
大量の書類を書かされたあげく、結局は融資を受けられなかったそうです。
それを知っていましたから、こんなに杜撰な融資が行われていたとは思ってもいませんでした。
その会社は空間デザイン系の会社でしたから、資金回収の判断が難しかったのかもしれませんが、その会社は、その苦境を乗り切れば大きな可能性が開けてくる状況でした。
おそらく杓子定規なマニュアルで彼の会社の融資は弾き飛ばされてしまったわけです。
しかしどうしてこれだけの短期間に、これほどの不良債権がたまってしまったのでしょうか。
その筋の人たちの狩場になってしまっていたのでしょうか。

お金の世界は恐ろしいです。
お金からできるだけ離れて生きるのが豊かになれるような気がします。

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2008/04/01

■節子への挽歌212:不死を願うことは死を呼び込むこと

昨日の続きです。
節子は毎日を感謝しながら納得できるような生き方に心がけていました。

ブッダは「不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て1日生きることの方が優れている」と言ったそうです(石井誠士「癒しの原理」)。
不死が無ければ、人生は、結局無に帰するのであり、不死であれば、1日も最も充実しているのだ、と著者の石井さんは言います。
確かに桜の花が1年中咲いていたら、感動は薄れるかもしれません。
以前、富士吉田市の市長と話していて、こんなに目の前に大きな富士山があると、毎日、元気が出ますね、といったら、当然の風景なので意識などしませんよ、といわれました。
地方に行って、すばらしい風景や文化に触れて感動することも多いですが、地元の人はそれが当然だと思っていますから、そう感動しているようには思わないこともあって、なんともったいないなどと思うこともあります。

節子は、いつも私の隣にいました。
朝起きればそこにいましたし、食事の時にはいつも隣にいました。
節子がいるのが、私にとっての日常風景だったのです。
節子と一緒にいることの幸せは、もちろん感じていましたが、
あまりに当然のことなので、その意味がわかっていなかったわけです。
いまは、ブッダの言葉の意味がよくわかります。

死が、生を輝かせてくれるのかもしれません。
花は枯れるからこそ、その輝きに感動させられるのかもしれません。
限られた時間であればこそ、私たちは思い切り輝けるのかもしれません。
だとしたら、不死を願うことは死を呼び込むことなのかもしれません。
「死」にはやはり大きな意味があるのです。
節子は、死をもって私に何をメッセージしたかったのでしょうか。
節子がいなくなってから、節子の本当の価値や私たちの関係がわかってきました。
来世ではきっと現世よりもいい関係を構築できるでしょう。

私は節子に、「節子と一緒だったら3万年一緒にいても飽きない」と時々話していました。
節子は必ずしも同意はしませんでした。
もう飽きかけていたのかもしれません。
もしかしたら、私に飽きてしまって来世に行ってしまったのかもしれません。
そうだとすると、来世でまたよりを戻すのは苦労かも知れません。
いやはや困ったものです。

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■学校教育への税金投入が少ないわけ

昨日、教育関連のことをちょっと書きましたが、そこでタレントの大竹さんが「日本は国家財政での教育関係の歳出は少なく、家計での教育投資は大きいのが問題」だというような話をしていました(不正確かもしれません)。
教育再生がずっと問題になりながら、日本の国家予算の教育への配分は、先進国の中では最下位のグループのようです。
国家財政の配分構造を見るとその国の実態や先行きが見えてきます。
日本が明治維新を成功させ、急速な近代化を進められたのは、教育投資のお陰だと思いますが、なぜ戦後の日本では学校教育への予算配分が少なかったのでしょうか。
是も昨夜のお風呂の中で思いついたことですが、その原因は、日教組と文部科学省の対立構造が影響していたのではないかと言うことです。
つまり学校が、国家の管理を離れてしまったがゆえに、教育予算は増やさなかったということはなかったのでしょうか。
このことは、学校のガバナンスの問題、あるいは学校のミッションの問題にもつながっていきます。

先の日教組大会会場拒否事件日の丸君が代事件に見るように、まだその発想や構造は続いています。
文部科学省の官僚にとっては、学校は憎い敵に占拠されてしまっていた存在だったのかもしれません。
それを取り戻すために、彼らは日の丸や君が代、あるいは愛国心に、異常に執着しているのかもしれません。
政界はそれに加担することはいうまでもありませんが、かくして学校は教育の場ではなくなってしまったわけです。
象徴的に言えば、宮崎県の場所など教えないほうがいいのです。
よけいなことを教えれば、知恵が生まれて、権力に反発してくるからです。
いささか大げさで、過激に聞こえるでしょうが、そうした意識がどこかにあるのかもしれません。
最近の都知事の言動に見るように、自信のない人は過剰攻撃するものです。

お金持ちは、公立の学校とは別の所で子供を学ばせますが、そういう構造の中では、公立学校の教育内容は全く違うものになっていきます。
つまり民の学校とは、管理に唯々諾々と従う意識を植え付ければいいのです。
なんだかどんどん過激になっていきますね。
誤解されそうですのでやめますが、こういう構造は格差社会と深く関わっています。

お風呂の中ではもっとやわらかく考えていたのですが、1日たって、パソコンに向かうと発想が先走ってしまいます。
最近、どうも社会への苛立ちが強くなっているのです。

いずれにしろ、学校教育は社会のあり方を決めていきます。
この世界こそ、政府や官僚に任せずに、NPOが真剣に取り組むべきテーマかもしれません。

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