■節子への挽歌230:湯河原で暮らしているのですか
昨日から箱根で合宿をしていました。
予定より早く終わったので、帰りに湯河原に寄りました。
湯河原には、私の退職金で購入したマンションがあるのです。
わが家のバブル期の名残でもあるのですが、退職金が予定より多くもらえたので、それを頭金にして、投資にもなると勧められて購入しました。
しかし結果は投資どころか、バブル崩壊で頭金以上の借金が残りました。
管理費もバカにならないので、節子は早く売却しようと口では言っていましたが、ここが好きでした。
いろんな友人たちと時々来ていました。
ここは節子のお城でもあったのです。
年に2~3回は私と2人で来ました。
ここに来ると必ず箱根に行きました。
私たちは箱根がとても好きでした。
老後はここに転居する計画もありました。
節子が先に逝ってしまったので、もう転居することはありません。
そろそろ湯河原の生活時間を増やそうかと思っていた矢先の発病でした。
人生は予定通りにはいきません。
そんなわけで、湯河原で節子と一緒にゆっくり過ごしたことがあまりないのです。
節子と一緒の湯河原の思い出といえば、
今は国会議員になっているツルネン・マルティさんの自宅で、奥さんの手づくり料理をご馳走になったことくらいでしょうか。
まだツルネンさんが落選続きで苦労していた頃です。
私たちもたくさんの夢があった時代です。
節子の夢もたくさんありました。
マンションの窓から節子の好きな湯河原富士(節子の勝手な命名です)がよく見えます。
それを見ていると台所から節子が出てきそうな気がします。
再発してから、節子はもう一度ここに来たかったのでしょうが、私がそれに気づいた時にはもう遅すぎました。
ここに来るのは、節子が逝ってから2回目です。
前回は来た途端に涙が出てきて、すぐに帰りました。
今日もやはり長居は出来ませんでした。
細かなところに節子が宿っているようで、どこを見ても涙が出てきます。
みなさんには笑われてしまうでしょうが、いろいろなものに、節子が見えてきてしまうのです。
一緒に走ろうといって購入した自転車も1回しか使えませんでした。
節子が飾ってくれた花もそのままです。
ベランダに節子が植えたサボテンがいつの間にか2鉢になって大きく育っていました。
実はいま、帰宅してからこのブログを書いているのですが、
書いていて気づいたのですが、たしか1鉢だったはずでした。
どうしたのでしょうか。
もう少ししっかりと確認すればよかったですが、たしか2鉢あったような気がしてきました。
もしかしたら、節子はいまここに住んでいるのでしょうか。
今日は無理をしてでも一泊してくればよかったです。
夜になったら節子が帰ってきたかもしれません。
節子はここが本当に好きだったのですから。
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