■オリンピックというのは一体何のでしょうか
聖火リレーへの妨害事件は何やらやりきれなさを感じます。
善意の人たちが、なぜこんな形で争わなければいけないのかと思います。
世界で起こっているほとんどすべての争いの現場では、本来は争うべきでない人たちが争っていることが少なくありません。
自爆テロに巻き込まれるのは、いつも争う対象からは遠い人たちです。
戦場で戦っているのも、いつも戦争がなければ仲良くなれたであろう人たちです。
なぜそうした、本来は争う必要のない人たちが争わなければいけないのか。
そうした構図を象徴的に顕在化してくれているような気がします。
それにしても、オリンピックというのは一体何なのでしょうか。
選手のためにあるのでしょうか。
平和のためにあるのでしょうか。
娯楽のためでしょうか、金儲けのためでしょうか。
選手は、もしかしたら戦場の兵士のような存在なのでしょうか。
薬まで飲んで記録に挑もうとする活動がスポーツなのであれば、オリンピックは所詮はローマの剣闘士のレベルの話です。
こけおどしの開会式の演出には感動のひとかけらも感じないのは私だけでしょうか。
もっとおおらかなオリンピックというのはないのでしょうか。
それに勝利を独占しようとする選手も好きにはなれません。
1回優勝したら、後進にその喜びを譲るやさしさをもってほしいものです。
勝利を独占する発想は平和にはつながりません。
戦争している国の権力者たちが、殺しあう代わりに、走りあうような場にはできないものでしょうか。
つまらない記事ですみません。
今日は書くことが思いつきませんでした。はい。
| 固定リンク
「政治時評」カテゴリの記事
- ■ウクライナ戦争での国家の役割を考えたいです(2022.04.23)
- ■本間照光さんがまた「科学」に寄稿されました(2022.02.22)
- ■「民主主義において権力は、資本という特殊な「主権者」によって占められている」(2022.01.25)
- ■「進む辺野古移設 市民にうんざり感」(朝日新聞2022年1月25日朝刊)(2022.01.25)
- ■「新しい資本主義」と「新しい民主主義」(2022.01.23)
「平和時評」カテゴリの記事
- ■仕掛けた人の背後にある真実(2022.05.13)
- ■戦争を止めるのは人の友好関係を広げていくことでしかありません(2022.05.08)
- ■昨日は沖縄が日本の返還された日でした(2022.04.29)
- ■ジョン・ダワーの「戦争の文化」とウクライナ戦争(2022.04.21)
- ■国民の無関心が戦争を引き起こす(2022.04.18)
コメント