■節子への挽歌236:節子の涙
昨日(挽歌235)の続きです。
大日寺には閻魔堂があります。
たぶん庄崎師への寄進で新しく創ったものでしょう。
大きな、そして力強い閻魔大王です。
霊場に閻魔大王というのはめずらしいのではないかと思います。
そしてその周辺には所狭しと花が植えてあります。
たくさんのランが見事に咲いています。
加野さんの後を付いて相談にくる人の集まる場所に行くと、加野さんがどうぞお上がりくださいというのです。
そうかここはみんなのコモンズ空間なのだとわかりました。
こういう場所は初めてですので、私にはいささかの緊張感もありますが、加野さんは自分の家のように振るまっています。
そう言えば、以前、大分の国見町の大光寺に泊まった時もそうでした。
あの時は、しかしなぜか私だけがお寺の本堂の裏にある個室に一人でねむらされましたが、その夜中に異常な体験をしたのです。
そんなことを思い出しているうちに、庄崎師が顔を出しました。
どこにでもいるおばさんです。
普通の作務衣をきているので、お遍路さんと見分けがつかないはずですが、見た途端にわかりました。
不思議なあったかさを感じさせるのです。
私に向かって、「こういう世界もあるのですよ」と一言だけ声をかけました。
どういう意味でしょうか。
初めての人にはみんなに言うのでしょうか。
その言い方は、ご自身も不思議がっているような言い方でした。
大きなロウソクに節子の名前を書きました。
加野さんも娘の寿恵さんの名前を書きました。
今回は加野さんも節子のことを中心に祈祷してほしいと言ってくれました。
私は近況報告を頼むと共に、節子に言い残したことはないかを訊いてもらうことにしました。
全く予期していなかった突然のことだったので、私たち家族と節子は最後の会話ができなかったからです。
庄崎師はまず節子に報告をしてくれました。
その時です。
加野さんと私が名前を書いたロウソクが並んで立っていたのですが、私が書いたほうのロウソクが炎を大きくさせ揺らぎ出したのです。
庄崎師も、祈りをやめて、こういうことがあるのですよ、と驚いているのです。
きわめてカジュアルな祈祷師です。とても好感が持てました。
最後に言い残したことはないかという質問をしてくれました。
そしてその後、庄崎師の口から節子の言葉、そして加野さんの娘さんの言葉が出てきたのです。
声そのものが節子や寿恵さんの声に変わったのではありません。
声は透明感のある、むしろ抑揚の少ない、受け入れやすい声でした。
結論的に言えば、言い残したことはないと言うことでしたし、差しさわりがない内容なので庄崎師の創作だと言ってしまえばそれまでの話です。
しかし加野さんは何回か、庄崎師さんが知るはずのないことが言葉として出てきた経験をお持ちなのだそうです。
そういわれれば、初対面の私や節子に関しても当てはまる内容を、よどむことなく話すことにはやはり尋常でないものを感じさせられます。
そして、庄崎師が下を向きながら口伝えの話を終えて顔を上げた時、師が声を上げたのです。
私も加野さんも手を合わせて下を向いていたのですが、その声でロウソクを見ると、私のほうのロウソクだけが大きく右側にロウがたれていたのです。
たぶん一瞬に起こったことです。
私も時々ロウソクを見ていましたので。
供養の言葉を書いた場所をよけるようにロウが流れていました。
庄崎師は、それを何回も言いました。
私も不覚にも涙ぐんでしまいましたが、さらにそれに合わせるように、今度は燭台をはみ出す形で、その下にまでどっと一筋のロウが流れ出したのです。
しばらく3人でそれを見詰めていました。
節子の気配を感じたわけではないのですが、節子が示してくれた「しるし」だと思わないわけにはいきません。
これは奥さんの嬉し涙ですと、と庄崎さんは言ってくれました。
「こういう世界もあるのですよ」
改めて先ほどの庄崎師の言葉を思い出しました。
昨日よりも長くなってしまいました。
もう一度、続きを書きます。
| 固定リンク
「妻への挽歌02」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌399:節子を見送った後、初めて湯河原で朝を迎えました(2008.10.04)
- ■節子への挽歌396:習字の仲間が来てくれましたよ(2008.10.01)
- ■節子への挽歌398:秋の箱根は、無性に悲しかったです(2008.10.03)
- ■節子への挽歌395:マリーがよろこばないから(2008.09.30)
コメント