■節子への挽歌222:湯島のオフィスはまだそのままです
節子
オープンサロンによく参加されていたFJさんが1年ぶりに湯島のオフィスにやってきました。
相談があるというので、私も湯島に出かけていきました。
最近はまた人に会うために湯島のオフィスに行くことが増えてきました。
節子の発病で中止していたサロンを、節子が少しずつ元気になってきたので再開した当初、FJさん一人しかこなかったことがありました。あれも、なにかの理由があったと思っていますが、その時、3人でいろいろと話したのを思い出します。
そのFJさんからメールが届きました。
湯島の事務所にお伺いいたしますと、たくさんのいろいろな思い出があふれて出てまいります。又そのときどきの心情がこみ上げてまいります。
不肖な私にとりましてもかけがえのない大事な場所でありますが、湯島での御礼室様に戴いた御恩を忘れられない人々は大勢おられます。湯島サロンでの帰り道で色々な人たちと、御礼室様のお心配りにいつも感謝の言葉を交わし乍ら帰ったことなど。わけ隔てなく接していただいた事など思い出すと際限なくあふれてまいります。湯島の事務所に
入ったとたんに思い出がこみ上げてまいりました。
FJさん特有の誇張がありますが、サロンに来てくださった方には、節子のほうが私よりは好かれていたのかもしれません。
私は時に嫌われても仕方がない発言もしましたし、中途半端な知識のひけらかしもしましたから、いやな人間に見られていたかもしれません。
節子からは時々注意されていたので、何とか許容限度内に収まってはいたと思いますが。
FJさんと同じく、私にも湯島のオフィスはさまざまな思い出があります。
閉じてもいいのですが、とても閉じる気にはなれませんでした。
この20年、節子と一緒に育ててきた空間だからです。
再発する直前に、節子は部屋をきれいにしようと言い出しました。
そして改装業者の人を手配し、先ず床のカーペットを貼り替えてくれました。
お金が無かったので壁紙は自分たちで貼り替え、ペンキ塗りもしようとしていました。
そうした作業をできるだけ自分たちでするのがわが家の文化でした。
しかし、その作業にはいる前に節子は再発してしまいました。
クーラーは私の責任で入れ替えましたが、私のいい加減な対応で設置場所を間違えてしまいました。
改装後、2回ほど、節子は湯島に行きましたが、修にまかせていたらこんな場所につけてしまうのだから、と嘆いていました。
その中途半端な場所に付いてしまったクーラーのまわりの無残な状況も含めて、湯島のオフィスは改装途中のままなのです。ペンキも置いてあります。
それに手を加える気持ちにはなれません。
節子が最後にここに来てくれた時のままです。
変わったのは、節子がいないことだけです。
とても悲しいですが、でもここで誰かに会っていると、いつもとなりに節子がいるような気がします。
節子
なんで改装を完成してくれなかったのですか。
もう一度、節子と一緒に壁紙はりをしたいです。
戻ってくるまで待ち続けます。ずっとずっと。
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