■節子への挽歌213:「死」との付き合い方こそが社会のあり方を決めていく
もう一度だけ、「死」の話です。
毎日のように「死」が報道されています。
それも家族によってもたらされる死の事件が少なくありません。
かけがえのない伴侶を病気で失った私にとっては、なぜそんなことが起こるのか、不思議でなりません。
「死」以上に辛く悲しいことがあるのかもしれませんが、「死」を生きることの選択肢にしてほしくありません。
「死」を選択肢にした人は、「死」の後も生きていくと考えているのでしょうか。
「死にまつわる報道」の多さは驚くほどです。
事実だけではなく、ドラマや映画でも、最近は「死」が扱われることが多くなってきているように思います。
たしかに「死」は、ニュースにもなりやすいですし、ドラマにもしやすいでしょう。
しかし、昨今のように安直に扱われる風潮にはいやな気がします。
事件の報道の仕方も気になります。
「死」が対象化され、物語化されすぎているような気がします。
それがまた次の「死」を触発するのではないかと心配です。
かつては、「死」は日常的な体験の風景だったという人がいます。
それが、いまや「隔離された事件」になっているというのです。
「死」が「体験」ではなく、「知識」や「情報」になったわけです。
そのため、「死」の語り方が変ってしまったのかもしれません。
私は妻の死を体験する前に、同居していた両親を看取る体験をしています。
その死を日常的に乗り越えられたのは、妻のおかげです。
そして、節子の死を乗り越えられたのは、むすめたちのおかげです。
私にとって、「死」は決して「事件」ではなく、「日常」でした。
事件は忘れられ風化しますが、日常は決して忘れられることなく日常化します。
元気になりましたか、と時々、訊かれますが、この質問には戸惑います。
核家族化が進む中で、「死」との付き合い方は大きく変わってしまったような気がします。
社会が脆くなっている大きな原因の一つは、核家族化だと私は思っていますが、伴侶との死別を体験して、改めてそう思います。
「死」は「生」とは全く次元の違う話だと思いますが、「死」との付き合い方こそが社会のあり方を決めていくのかもしれません。
その基本にあるのは、家族のあり方です。
節子の死を体験してから、「死に対する報道」の受け取り方が変ったような気がします。
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