■逃げ場の無い空間での身の処し方
先日、久しぶりに超満員の電車に乗りました。
乗ってから後悔しましたが、もう出られません。
どんどん中に押し込まれます。
すぐ目の前の人は、それまでつりかわを掴んでいたのが押しやられ、手を離さざるをえなかったのですが、その手を下に下ろす隙間がなく、手を上げたままです。
知人がいつか話していましたが、満員電車では置換の疑いをかけられないようにするため、手は上に上げておかねばいけないのだそうです。
それが納得できるような混雑状況でした。
電車で閉じ込められたことも何回かあります。
もう数百メートルで目的駅に着くという直前で事故で止まり、1時間以上かん詰になったこともありますし、新幹線で東京を出た途端に事故でストップし、結局、新横浜まで2時間かかって着いたこともあります。
そういう状況にあうと、どうしようもありません。
先日、千代田線に乗っていたら、肌寒い日だったにもかかわらず、車掌が何を思ったのかファンを入れました。
私の車両はそれほど混んでいませんでしたが、車掌の乗っている所は混んでいたのかもしれませんが、千代田線は、前にも書きましたが、寒くても冷房をよく入れる電車です。
しかし、乗客としてはどうしようもありません。
車内放送の音が大きすぎたり、何を言っているのか聞き取れないような音量だったりすることもあります。
これもいらいらして降りたくなりますが、時間を気にして時には、我慢して乗っています。精神的にはよくないです。
先日、風が当たる車内で考えたのですが、電車内は閉じられた逃げ場のない空間なのです。
しかし、そこで気づいたのですが、逃げ場のない空間は車内だけではありません。
私たちは、そうしたさまざまな逃げ場のない空間に閉じ込められて生きているのです。
だとしたら、従順にその空間の条件を受け入れていくか、あるいは空間の条件を変えていくしかありません。
でまあ、今日は会社に意見を送りました。
しかし、こういう瑣末で勝手な意見が事業コストを上げているのかもしれません。
返信不要とは書いておきましたが、海外協力援助事業者は迷惑かもしれません。
個人の感想を伝えることは果たしていいことかどうか、迷います。
しかし、できるだけこれからは発言していくことにしました。
もちろん行動も含めてですが。
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