■節子への挽歌238:観世音寺の仏たち
ここまで来たらもう少し福岡報告を続けます。今日は祈祷所に行く前の話です。
CWSコモンズにも書きましたが、加野さん宅を訪問する前に、大宰府の近くにある観世音寺を訪ねました。
大宰府に来たら必ず立ち寄るようにしています。
ここの宝蔵の空間がなぜか引き寄せるのです。
今回は朝早く寄りましたので、30分ほど私一人でその空間を独占できました。
正面に巨大な3体の仏がいます。
真ん中は馬頭観音です。
見事な観音です。
その両側にこれも大きな十一面観音と不空羂索観音が立っています。
いずれも5メートルの巨体ですが、それが並んで目の前にあるのです。
馬頭観音の前に座ると三方から10数体の仏たちに取り囲まれるようになります。
ここを訪れた方は絶対に忘れることはないでしょうが、すごい迫力の空間です。
ところがです。
いつもと違って、今回は仏たちが小さく感じるのです。
いつもはその経屋に入った途端にみんなの目線を感ずるのですが、
今回はなぜか誰も私が入っていったのを無視するような気がしたのです。
前回はここで節子の快癒を祈りました。
もしかしたら、その願いを適えられなかったことで身を縮めていたのかもしれません。
しかしここには大日如来はいませんので、責任は大日如来でしょう。
ちなみに祈祷所は大日如来の大日寺です。
彼らと一緒の時間を過ごしていて気づいたのですが、立ったままの仏像は疲れないのだろうかと心配になりました。
真ん中の3体はいずれも立像です。
どうして立ったままの仏像をつくろうなどと思ったのでしょうか。
今までそんなことなど考えたこともなかったのですが、とても気になりだしました。
節子がいなくなってから、世界の風景がいろいろと変わりました。
仏の世界まで変わったのかと思いました。
まあ、節子と一緒だったら、そんな話を飽きることなくしているはずです。
でも今となっては、そんな話をする人もいなくなってしまいました。
それにしても、観世音寺の周辺はなぜか心和みます。
節子と一緒にこられなかったのが、本当に悔やまれます。
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