■節子への挽歌229:王興寺と法興寺(飛鳥寺)
節子
飛鳥寺は私たちにとっては思い出深いところです。
まだ結婚する前だったでしょうか。
私にとっては、憧れの寺院に節子と一緒に行けたので、とても強い印象が残っています。
奈良を別にすれば、一緒に最初に行った寺院が、飛鳥寺だったかもしれません。
その飛鳥寺に絡んだ話題が最近新聞をにぎわせています。
飛鳥寺の原型ともいわれている韓国の王興寺遺跡の調査が進んでおり、
年代的にみても同じ技術者たちが飛鳥寺を建立した可能性が高まっているというのです。
先日の朝日新聞にもよれば、王興寺とは文字通り、王が興した寺。
「飛鳥寺の仏舎利も技術者も百済と倭の王権間の交流がもたらしたものだったはずだ。
豪族の氏寺にとどまるものではないだろう」と國學院大学の鈴木靖民教授は話しています。
わくわくするような話です。
新聞にでていた王興寺の復元図は感動しました。
蘇我氏と物部氏が古代日本の中心者だと思っている私としては、とても想像力をとばせる話です。
ちなみに、飛鳥寺は当初、法興寺という名前でした。
王興寺と法興寺。
それを同じ集団が建立した。
古代の世界の広がりを感じます。
法興寺は元興寺とも呼んだそうですが、「がごうじ(元興寺)」は鬼を総称する言葉です。
蘇我氏が建立したと言われる元興寺は鬼を象徴しているわけですが、
もうひとつの鬼のルーツが蘇我氏と対立したと日本書紀に書かれている物部氏です。
「モノ」は古代では鬼のことです。
物部氏の祖は神武天皇以前に大和に君臨していたニギハヤヒです。
その系譜はスサノオにつながっています。
日本最初の王朝は物部王朝だったという歴史学者もいます。
物部、蘇我、そして天皇家。
蘇我と物部は同族で、親密な関係だったと書いてある古書もあります。
仏教問題で対立したなどというのは、藤原家の創作かもしれません。
節子に関係ない話を書いてしまいましたが、
節子がいたら、得々として我流の古代史を講義していたことでしょう。
ちなみに、節子の実家は滋賀県の物部です。
物部から来た鬼、それが節子に最初に会った時のイメージです。
「物」は鬼につながりますが、神にもつながります。
もう少し元気が出てきたら、一人で飛鳥寺に行ってみようと思います。
いつになったら行けるでしょうか。
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コメント
タモガミ空将の書き込みしたひろしです 奥さん すごく愛してたんですね(^-^)/よく伝わってきます 橋元知事の記事読みました 各市町村の首長の怠慢…よく言い当ててますね 大阪府の痴呆公務員どもは 我がの会社(府 市 ですな)が 倒産しかけてるとゆう意識が全く無いみたいですな(笑) 少し給料削るて言われただけで「何日ぶんタダ働きや」とか 生活立て直しせなあかん とか 零細企業にいたらしょっちゅう立て直しやのに(笑)てゆうか零細企業社員は昇級ないかも ボーナスないかも でやってますもんね(怒)
投稿: ひろし | 2008/11/11 23:08