■節子への挽歌217:節子がいなくなったのに、なぜ自宅に吸い寄せられるのか
節子、昨日、久しぶりに新幹線で大坂に行きました。
1年ぶりの遠出です。
とても不思議なのですが、節子がいなくなってから、どうしても遠出する気になれなかったのです。
それだけではありません。
なぜか自宅を離れるのも辛くて、原則として明るいうちに帰宅するようになりました。
自宅に帰っても節子はいないのですから、むしろ早く帰る理由はないのですが、節子がいた時よりも、なぜか足が自宅に向かうのです。遠出もそうです。
久しぶりの大坂なので、いろいろな人に会うために宿泊しようとも思ったのですが、その気にはなれませんでした。
なぜそういう気持ちになるのでしょうか。
帰宅しても、「おかえりなさい」という節子の声が聞けるわけではありませんし、その日のことをしっかりと聞いてくれる節子もいません。
むすめたちに話しても意味がないでしょうし、伝わりません。
40年かかって創り上げてきた2人の世界での以心伝心は、そこでは成り立たないからです。
にもかかわらず、自宅に帰らなければという意識が、心の心身に強く働きかけてくるのです。
まるで節子がわが家にいて、私を吸い寄せているような気がしてなりません。
しかし帰宅したからといって、何かが起こるわけではありません。
節子の位牌に灯をともして声をかけても、写真の中の節子は微動だにしないのです。
少し帰宅が遅くなって、一人の夕食になる時には、むすめが節子の写真を食卓に持ってきて、「お母さんに話しながら食べたら」といいますが、食卓の節子の反応はありません。
もっとも最近は、反応がなくてもいいではないかという気がしてきました。
最近知ったのですが、反応なく一緒に時空間を共有することを「共在」というのだそうです。
人類学者の木村大治さんの造語です。アフリカでのフィールドワークの興味ある調査結果を読ませてもらいました。
コミュニケーションの問題を考える上で実に示唆に飛んだ話のように感じます。
そう感ずるのは、私だけかもしれません。
最近、コミュニケーションに関する議論が私の周りでも多いのですが、私のコミュニケーションの捉え方はますます特殊化し、なかなか議論に入り込めなくなってきています。
節子とのコミュニケーションが、今の私にとっての最大の関心事だからかもしれません。
節子、いつになってもおまえから離れられません。
節子が心配していたとおりになっています。
困ったものです。
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コメント
コムケアフォーラムでは、お世話になりました。
今回のコムケアへの参加は、仕事、生活あらゆる面で大きな一歩になりました。
少しずつ進みたいと思います。
さて、MLチェックで偶然、このサイトに来ました。
わたしの妻は、昨年12月5日、2年4か月の闘病の末他界しました。
「アドレス(URL)」のブログは、彼女がPCをみることができた、亡くなる半年前までに記録です。
妻がなくなって以降は、何回か私が投稿し、生前お世話になった方と、初めてお話ができました。
妻の死について、少しずつ考えては立ち往生の中で、このサイトに巡り合いました。
時間はかかるかもしれませんが、少しずつ読ませてください。
何かまとまりません。すみません。
投稿: 小峰弘明 | 2008/04/07 04:22
小峰さん
驚きました。
まさかのまさかでした。
個人宛にメールを送らせて貰いましたが、
届いていますか。
またぜひゆっくり話に来てください。
投稿: 佐藤修 | 2008/04/28 11:25