■節子への挽歌226:伴侶に先立たれた心の空白
昨日、日記のことを書いた後、ちょっと節子の日記を開いてみました。
最近のは辛いので、20年以上前の日記です。
日記を開いたら、新聞記事が出てきました。
節子が好きだった「ひととき」の切抜きでした。
節子の投稿記事かなと思ってみたら、違いました。
表題にドキッとしました。
「夫に先立たれ心に空白」
46歳の主婦の投稿記事でした。
夫の遺影に線香をあげて、その穏やかな顔を見つめて一言二言話しかける。1年の闘病の後、伴侶は逝ってしまったそうです。
反応のないのはわかりきったことなのだけれど、どうしようもないいら立ちを感じる。
伴侶を亡くして49日を迎えようとしている頃に書かれたものです。
長い歳月かかって築き上げた土台を根こそぎさらわれてしまいました。そして最後はこう締めくくられています。
今後、はたして「幸せだなあ」としみじみ思える日が再び訪れることがあるでしょうか。いまの私の思いと全く同じです。
伴侶に先立たれた時の思いは、いつも、そしてだれも同じなのかもしれません。
どこの方か全くわかりませんが、今は「幸せだなあ」と思うことのある日を送られていることを祈らずにはいられません。
それにしても、節子はなぜこの投稿記事を切り抜いて日記にはさんでいたのでしょうか。
当時は2人ともいたって元気で、どちらかが先立つなどということは話題にもなっていなかったはずなのですが。
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