■節子への挽歌219:愛する人を失った人にどう声をかけたらいいか
愛する人を失った人に、どう声をかけたらいいでしょうか。
これは難しい問題です。
節子ならどうするでしょうか。
節子との別れの後、私には周りの人の気持ちを思いやる余裕もなく、自分の気持ちだけにしか気が向いていなかったことに、この頃やっと気づきだしました。
最近、気づいたのは、愛する人を失った人に声をかけることの難しさです。
節子との闘病を続けていた時期、愛する人を失った知人に声をかけることの難しさを体験していましたが、自分が当事者になってみると、そういうことをすっかり忘れてしまっていました。
きっと私の周りの人たちも、私にどう声をかけていいのか悩んでいたのかもしれません。
5日に大阪で行ったコムケアフォーラムで「おんなの目で大阪の街を創る会」の小山琴子さんに会いました。
会うなり、奥さんの時には何もできなくてすみません、と言われました。
その言い方に、小山さんがずっと気にしていてくれたことを実感しました。
節子は小山さんに会ったことはないかもしれませんが、コムケアの選考会で小山さんの発表を聴いていると思います。
小山さんは、大阪でとても実践的な活動に取り組まれています。
節子のことを話したことはないと思いますが、コムケアのメーリングリストで、節子の訃報を知ってくれていたのです。
私は会社を辞めてからまちづくりや市民活動にいろいろと関わってきました。
そのつながりの中では、ビジネスと違って、人間性や生活観が出てきます。
ですから私の後ろにいる節子が見えてしまうのかもしれません。
私の知らないところでいろいろな人が私たちのことを祈ってくれているのです。
東京のコムケアフォーラムに、節子も知っている乾さんや木村さんが参加してくれました。
忙しい中を、たぶん節子のことで私に一言話したくて来てくれたのです。
節子も知っているように、2人の性格は全く違いますが、その違いを象徴するようなスタイルで、私に一言言ってくれました。
訃報を知っていろいろな人が声をかけてくれましたが、声をかけられなかった人も少なくないようです。
やっと電話がかけられたといって、先週、新沢さんが電話をくれました。
新沢さんも節子には会っていないでしょうが、私より年上で、保育の世界の長老のお一人です。
その新沢さんにしてもすぐには電話がかけられなかったようです。
愛する人を失った人にどう声をかけたらいいか。
当事者になって、やっとその解が見つかりました。
愛する人を失った人の思いは、愛する人に向いています。
そのまなざしを共有することではないかと思います。
愛する人へのあたたかなまなざしを感じることができれば、どんな言葉でもうれしいのです。
逆に、そうしたまなざしが伝わってこないと、どんな言葉も空しく響きます。
言葉ではなく、まなざしとそれが向いている先なのだと、最近やっと気づきました。
愛する人を失った人たちに対して、私はそうしたまなざしを向けていただろうか。
大いに反省しなければいけません。
節子
あなたのおかげで、また少し人生が豊かになりました。
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