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2008/04/17

■節子への挽歌228:ひまわり

近くの中村さんが、ひまわりを持ってきてくれました。
道の駅で見つけたのだそうです。
節子と以前、ひまわりの花の話をしたのを思い出したのだそうです。

ひまわりといえば、昔、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが共演した映画がありました。
思い出しただけでラストシーンのひまわりの光景とともに悲しさがこみ上げてきます。
ソフィア・ローレンとマストロヤンニが共演した映画は、みんな物悲しいものがありました。
ましてやこの映画の監督はヴィットリオ・デ・シーカです。
反戦映画なのですが、反戦以上に哀しい映画でした。

愛することの悲しさ、愛する人との別れの辛さ。
そして愛した人との再会の哀しさ。
不思議なのですが、この映画を節子と一緒にテレビで最初の画面だけみた記憶はあるのですが、最後までみた記憶がありません。
昔、映画館で一緒にみたかどうかも思い出せません。
私自身、きちんとみたかどうかすら記憶がないのです。
にもかかわらず、節子も私も、この映画のストーリーは知っていました。
ひまわりをみると、その話が出ていたからです。

わが家の近くにひまわり畑があります。
夏はひまわりで一杯になります。
毎年、節子と一緒にそこに行って数本のひまわりを買ってきて飾っていました。
今年も、もうその季節なのかと驚いたのですが、中村さんが持ってきてくれたのは温室育ちのひまわりでした。
節子がいなくなってから、どうも季節の感覚がなくなっています。
なにしろ、私にとっては太陽がなくなってしまったようなものなのですから。

映画「ひまわり」の筋はこうです、

戦争に行ったまま終戦になっても戻ってこない、愛するアントニオを待ち続けるジョバンナは、アントニオがソ連の極寒の雪原で倒れたという話を聞いて、ソ連に向かいます。
ジョバンナはソ連に着き、写真を頼りに探し回るのですが、苦労の末、一軒の家を紹介されます。
その家を訪れると、幸せそうな妻子の姿。
真実を知り傷心したジョバンナは、そのままイタリアへの帰国を決めるのですが、駅で汽車を待っていると、事情を知ったアントニオが現れるのです。
しかし、ジョバンナは何も言わずに汽車に飛び乗り、涙を流し去って行くという、お定まりのラストです。
こう書いてしまうと、味も素っ気もないですが、ネットにあらすじが出ていますので、それを読んでもらえば、感動してもらえます。
映画の音楽はヘンリー・マンシーニですので、映画をみれば必ず涙が出るでしょう。

ひまわりを持ってきてくれた中村さんは、こういいました。

歩く姿がとても寂しそうだったので来られませんでしたが、先日、お見かけしたら元気そうに歩いていました。だから今日、やっと献花に来られました。
節子
しばらく前まではよほど寂しそうに歩いていたようです。
今も寂しさは同じなのですが、歩き方が変わってきたのでしょうか。
もしかしたら、変わったのは中村さんなのではないかという気もします。
風景は、その人の気持ちで大きく変わるものであることを最近つくづく感じます。

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