■節子への挽歌234:節子、加野さん母子にきちんと伝えましたよ
福岡に来たもう一つの目的は加野さん母子に会うことでした。
加野さんは、節子に最後の大きな希望を与えてくれた人でした。
残念ながら、節子を守ることはできませんでしたが、奇跡を起こしてくれたのです。
加野さんのおかげで、節子が息を引き取る6時間前、私たちは奇跡を確信しました。
その確信の平安の中で、節子は眠るように息を引き取ってしまったのです。
それは本当に信じられない夢のような体験でした。
喜びの頂点から地獄の底に突き落とされたのです。
でも節子は幸せそうでした。
加野さんは大宰府で久留米絣のお店を開いています。
伝統工芸としての絣の保存に尽力されています。
いつか節子と一緒にいつか行きたかったお店ですが、実現できませんでした。
節子は、加野さんからいただいたテーブルクロスやタペストリーがとても気に入っていました。
加野さんとの出会いは、加野さんの娘さんの寿恵さんの縁です。
寿恵さんが東京で一人暮らししている時に、私たちがささやかに相談に乗ったりしていたのです。
節子は寿恵さんの素直さがとても好きでしたが、数年前に若くして亡くなってしまいました。
私だけでお参りさせてもらいましたが、節子は気にしながらも行けませんでした。
加野さんは母一人子一人でした。
加野さんの辛さはいかばかりだったでしょうか。
節子と別れて、初めてその辛さを少し理解できたような気がします。
加野さん母子にきちんと報告しておかなければとずっと気になっていたのです。
加野さんのお母さんは、もうご高齢なのですが、お元気でした。
気丈な方なのですが、それ以上に不思議な方です。
私がお訪ねするといったら、早速、節子と話をするといいといってくれました。
以前書きましたが、加野さんは、篠栗町にある大日寺に霊能祈祷師のところで、寿恵さんと時々触れ合っているのです。
今日は祈祷所はお休みだったのですが、電話をしてくれてお伺いすることにしました。
そこでの体験は、正直言って、まだ消化できずにいます。
ただその1時間くらいの体験のせいか、私自身、これまで体験したことがなかったような全身の疲労感に襲われてしまいました。
少し整理して書くようにします。
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