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2008/04/06

■お金がなければ活動ができないNPO

昨日、大阪のNPOの集まりに参加しました。
開催前に発表する団体の人やスピーカーの人たちと打ち合わせも兼ねて食事をしました。
私もその集まりを応援していたため、そこにも参加しました。
集まったのはしっかりした活動をしているNPOに関わっている人たちでした、
一人を除いて、私は初対面でした。

ところがです。
最初に出てきたのが、お金の話でした。
一つの団体が助成金を獲得したので、それが話題になってしまったのです。
NPOとお金の関係には嫌なものを感じている私としては、ちょっと引いてしまう話でした。
休日に自費で大阪にまできたことを後悔しました。
気分が滅入ってしまい、たぶん初対面の人たちに対して冷ややかな会話をしてしまったのではないかと反省しています。

ところで、またところで、なのですが、
その人たちがスピーカーになってのフォーラムは、実に面白かったのです。
お金との関係もきちんと距離感をもって議論が進んでいきましたし、自分たちの活動体験から助成金頼みは駄目だということが説得力を持って語られたのです。
始まる前のお金談義は、大阪ならではの話であり、本当はだれも助成金頼みなど思っていなかったのです。
最近、金銭志向の強いNPO関係者の話に触れることが多いので、私が過剰反応してしまっていたのです。

NPO関係者の集まりには私は基本的に参加しません。
なぜかと言うと、お金の話ばかり出てくるからです。
こから助成金をもらえるか、どうしたら助成金をもらえる申請書が書けるか、そんな話が飛び交う場は、本当にいたたまれないのです。
お金に依存している限り、市民活動は期待できません。
現在のような金銭至上主義の社会のあり方にこそ、ほとんどすべての問題が起因すると思っている私にとっては、市民活動は金銭からいかに自由になるかが発想の根底になければならないのです。
お金がなければ活動できないNPOは、現在の社会を補強する機能しか果たせない。
極端にいえば、私には有害無益の存在です。

それに助成金で活動している組織と付き合っていて感ずるのは、お金の使い方が「自分の財布」とは違うような気もします。
税金を使っている官僚や政治家と同じ匂いを感じます。
そしてそこに奇妙な企業や似非社会起業家が入り込んでくるのです。

かなり過激なことを書いてしまいましたので、NPOに取り組んでいる仲間たちからはまた嫌われそうですが、それが正直な気持ちです。
お金から自由になる活動をめざさなければいけません。
そんな非現実的なことを笑われそうですが、具体的なシナリオはもちろんあります。
いわゆる地域通貨、コモンズ通貨を使えばいいのです。
悪貨は良貨を駆逐する流れの中で、それは繰り返し挑戦し失敗してきた歴史を持っています。
私もその小さな実験に取り組んだことはありますが、入り口で止まっています。
ジョンギです。どなたかやってくれる人はいないでしょうか。
しかし、たぶんまもなく市民セクターは自分たちのコモンズ通貨を持ち出し出すでしょう。そうしなければ市民セクターは自立できないはずですから。

その時にはお金がないからなどという市民はいなくなるでしょう。
昨日のフォーラムで、みなさんの話を聞いていて、改めてそう思いました。
実際に活動していくと、助成金などがどれほど「麻薬効果」を持っているかに気づくのです。
ですから、お金論議をしているNPO関係者はまもなくお金から卒業できるでしょう。
そうなって困るのは、誰であるかは少し考えればわかります。
金融資本主義は早晩破綻するでしょう。
お金がお金を生みだすなどいう不条理が長続きするはずがありません。

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