■節子への挽歌214:友人から聞いた「危うい話」
節子
先週、またリンカーンクラブの武田さんに会いました。
その武田さんが不思議な話をしてくれました。
以前にも2度ほど聞いたことがあるのですが、今回はなぜか心にすっと入りました。
たぶん昭和38年か39年の話です。
武田さんは、渋谷で私に会ったというのです。
2人とも学生の時代です。
そしていうまでもなく、武田さんと私はまだお互いに知りあってはいません。
私と武田さんが知り合ったのは、それから15年後です。
情報問題を考える会で一緒になったのですが、その時、武田さんは15年前に私に会っていたことを思い出したのだそうです。
私がその話を聞いたのはずっと後になってからです。
そんなことってあるでしょうか。
その頃、私が渋谷を歩いていた機会はそう多くないはずですが、月に数回は歩いていたはずです。
武田さんがいうには、井の頭線に向かうデッキだというのですが、渋谷にはいつも井の頭線で行っていました。
ですから武田さんとすれ違う可能性はゼロではありません。
しかし、知りもしない人の出会いが記憶に残ることはあるでしょうか。
そんなことがあるとすれば、武田さんとはなにか因縁があるのかもしれません。
そうだとすると、来世もまた武田さんとの付きあいがあるのでしょうか。
いやはや、困ったものです。
それはともかく、今回は、この話が妙に気になって仕方がないのです。
これは時間の乱れかもしれません。
時間は必ずしも一方向的に規則正しく流れているわけではないでしょう。
だとすれば、時間の破れのなかで、節子に会えるかもしれないのです。
先日書いた私が死後の現世に迷い込んだように、節子が迷い込んでくるかもしれませんし。
人の出会いとは、本当に不思議です。
最近、この世が奇妙に幻想的に感じられるようになりました。
私の削がれた半身に、彼岸の節子が入り込んできたせいでしょうか。
武田さんの「危うい話」が、私の「危うい話」になりそうです。
このあたりでやめておきます。
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