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2008/04/05

■ホームレス社会とゼロトレランス社会

今日、大阪の釜ヶ崎地区でホームレス支援をしているグループの人に会いました。
数年前に、ささやかに支援したグループです。
活動はいろいろと話題を呼んでテレビなどでも取り上げられましたが、活動の継続はなかなか難しいようです。

格差社会の進行の中で、最近、ホームレスのニュースがしばしばテレビで特集されます。
ホームレスというと、野外生活者のことを私たちはついついイメージしてしまいますが、たとえばアメリカなどではホームレスはもっと広義に捉えられているようです。
最近は日本でもネットカフェ難民などという言葉で、ホームレスの捉え方が広くなっているようです。

ところで、ホームレスの「ホーム」とは何でしょうか。
ハウスレスとは言わずに、なぜホームレスなのでしょうか。
それがちょっと気になりだしています。
手元の英和辞書を見てみたら、一般にhouseは建物を意味するのに対し、homeは建物のほかに家庭生活の場としての快適さ、暖かさを含む」とあります(New Century)。
ホームがもし「家庭」や「家族」を意味するのであれば、日本にはホームレスはもっとたくさんいるかもしれません。
いや日本の政治経済政策は、ホームレス増加に大きく加担してきたのではないかとさえ思います。

定義はともかく昨今のホームレス状況の増加は気になります。
以前、ある集まりでウィークリーマンションで有名になった川末さんが、会場に向かって、みなさんの何割かは将来ホームレスになります、と話していましたが、まさにそうした状況に向かって事態は進んでいます。
私は幸いに自宅があるので、大丈夫ですが、昨年の年収は年金を入れても、妻の医療費とほぼ同額でした。自宅と年金がなければホームレスになってもおかしくはありません。
決して他人事ではないのです。
そしてこれは世界的に進んでいる状況なのです。
経済や科学技術や政治が、私たちを豊かにしているなどというのは全くの幻想かもしれません。

そうした中での、ゼロトレランス政策やゼロトレランス世論の進行。
やりきれない気がします。

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