■節子への挽歌225:4月は思い出の月
節子
あなたの小学校時代の同級生の雨森さんからのメールです。
私信ですが、勝手に公開します(一部勝手に改ざん)。
こんな形で、私にきた手紙やメールは公開される可能性があります。
お許しください。
ご無沙汰しております。雨森さんの奥さんも病気で通院していました。
『節子への挽歌』を読ませていただいております。
だから僕としてはご無沙汰しているような気はしないのですが、
悲しくなったり、ホッとしたり、幸せな気持ちになったり、
すごくなつかしくなったり、妻を大事にしなければと思ったり、
節ちゃんなんでそんなに早く逝ったのと残念さがこみ上げてきたりです。僕はかなり前から3年連続日誌を書いています。
1ページに同じ日が3年ぶん書けるものですが、
既に書き終えた3年分の日誌と現在記入中の日誌を手元において書いています。
書き終えた日誌の2005年4月11日曇り、
この日の日誌の間からメモ紙がでてきました。
(写真で、そのメモを送ってくれました。懐かしい節子の字でした)今日はお会い出来なくて残念でした。
奥様の一日も早いご回復をお祈りしています。
奥様に何か元気づけるものをと考えたのですが、
私の好きな作家の絵本を選びましたので
どうぞ奥様にお読みいただけるとうれしいです。
また お二人にお目にかかれますことを楽しみにしています。
時節柄どうぞ ご自愛下さいませ。
丁度その日は奥さんの通院日で、雨森さんも病院にいっていたため、お留守でした。
それで、ご自宅の玄関に手紙と本を置いてきたのです。
私も一緒に行きましたので、はっきりと覚えています。
ちなみに、その時の本は星野富弘さんの「花の詩画集」です。
節子は星野さんの絵が好きでした。
雨森さんは続けて書いています。
そして、2006年4月8日の日記その日、私たちは雨森さんにご馳走になりました。
7時30分拝観当番を終えて妻と西物部に迎えに行く。
そのまま北近江温泉にゆき和食を食べて2時間余り話す。
妻も同席する。やさしい旦那様で楽しくすごす。
4月は思い出の月です。
いろいろと思い出します。そう、私にも思い出の月です。
次は私たちがご馳走するはずでしたが、そうなったでしょうか。
記憶がありません。
節子も3年日記をつけていましたが、どう書いているか、どうもまだ読む気がしません。
節子が残した日記をどうしようか、悩んでいます。
読み出しても読み続けることはできないでしょう。
日記は読むより、書くほうが楽です。
でも雨森さんはこう書いてきてくれました。
1000回まできっと読ませてもらいますよ 節ちゃん書き続けるエネルギーをもらいました。
| 固定リンク
「妻への挽歌02」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌399:節子を見送った後、初めて湯河原で朝を迎えました(2008.10.04)
- ■節子への挽歌396:習字の仲間が来てくれましたよ(2008.10.01)
- ■節子への挽歌398:秋の箱根は、無性に悲しかったです(2008.10.03)
- ■節子への挽歌395:マリーがよろこばないから(2008.09.30)
コメント