■節子への挽歌221:「少しずつ考えては立ち往生」
先日のコムケアフォーラムでお会いした小峰さんが、このブログに投稿してきました。
その内容に驚きました。
ブログのコメントにご本人がお書きになっているので、実名で書かせてもらいますが、小峰さんは昨年12月に奥様を見送ったのです。
全く知りませんでした。
私が小峰さんのことを知ったのは、コムケア活動のメーリングリストです。
小峰さんの印象は、子育て支援をしている元気なお父さんという感じでした。
先日、フォーラムで初めてお会いしましたが、思っていた通りの人でした。
その時は、お互いにまさか伴侶を亡くした者同士ということなど思ってもいなかったわけですが、投稿にあるように小峰さんは、「妻の死について、少しずつ考えては立ち往生の中で、このサイトに巡り合いました」というわけです。
そして私もまた、小峰さんの事情を知ったわけです。
小峰さんの「少しずつ考えては立ち往生」という気持ちがよくわかります。
先日、亡くなった柳原和子さんが以前メールしてきてくれたように、女性以上に男性は「立ち往生」してしまうのです。
それはきっとそれまでの生き方に大きく影響しているでしょうが、考えもしていなかった事態に直面してしまうと立ち往生しかないのです。
それでも私の場合は、娘たちがもう大きくなっていましたので、自分の身の振り方だけを考えればいいのですが、まだ成人していない子どもたちがいる場合は、事情がまた違うのでしょう。
小峰さんにお会いしたいと一瞬思ったのですが、お会いして何かが変わるわけでもありません。
昨年、知り合ったある人がやはり私と同じ状況の人でした。
その人とある集まりでご一緒していますが、お互いにそれぞれの事情を知りながら、その話はしたことがありません。
少なくとも私の場合は、どう話したらいいかわからないからです。
にもかかわらず、その人の発言の後に、いつもその事情を重ねてしまいます。
言葉には出しませんが、お互いに多分、いつもある思いを共有しているのかもしれません。
同じ事情を抱えていると人には優しくなれるものだと、この頃、痛感しています。
逆に事情に無頓着な人には過剰に不快感を持ちがちです。困ったものです、
いずれにしろ自分のセンシティビティが高まっていることだけは間違いありません。
それが生き難さと生き易さを同時に与えてくれています。
そのせいか、いささか疲れやすくなりました。
最近、かなり疲れがたまってきているような気がします。
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