■後期高齢者保険と世代間対立論理
ギリシア人は2000年以上前の遺産で生活しているとよく言われます。古代ギリシア人たちがつくりあげた文化の遺跡が、今もなお世界中の観光客を呼び込み、それに依存して生活している人も多いでしょう。
人間の社会は連綿と続いており、どこかで切り取ることなど出来ません。
人間は「個」として生きていると同時に、「種」としても生きています。
後期高齢者保険が問題になっています。
ほとんどの人がわからないままに導入され、混乱が生じているわけです。
導入の仕方が、あまりにお上発想に従っているのに驚きましたが、もう一つ気になったのが、制度の目的です。
若い世代への負担を少なくしようというわけですが、こうした発想に以前から違和感を持っていました。
「世代間対立」という言葉にもどうも違和感があります。
あまりに時間的要素が無視されているように思うのです。
人はいつか高齢者になります。
誰にもまわってくる生活の段階です。
高齢者問題は、すべての人にとっての問題です。
そうした視点が弱いように思います。
若い世代が高齢者の生活を支えるというのは、本当でしょうか。
たしかに税負担は働いて所得を得ている若い世代に負担能力はあるかもしれませんが、それはフローとしての金銭基準での話です。
いまの社会が平穏で便利なのは、若者世代の努力のせいだけでしょうか。
そうではありません。
先代の人たちの営みの結果として、今の社会があります。
なかには負の遺産もあるでしょうが、私たちの今の生活を支えてくれる正の遺産のほうが圧倒的に大きいでしょう。
フローで考えるか、ストックで考えるかによって、世界は全く違って見えてきます。
ある時点だけを切り取って、損得や負担の多寡を考えるのではなく、人のつながりの中で考えていくと、若者が高齢者を養うなどという発想にはどうしても違和感が出てきてしまいます。
若者が働けるのは高齢者が創りあげた環境のおかげかもしれません。
まあ、その環境に問題があるというのも事実ですが、
大きく考えれば、今の生活は先人たちも含めて、みんなの営為で成り立っているのです。
世代間を対立させるような発想や言葉は使いたくないものです。
若者も後期高齢者も、みんな鏡の中の自分なのですから。
過去の遺産に感謝し、その使用料を負担するという発想はできないでしょうか。
その使用料を高齢者に後払いするだけの話です。
それはいつか自分に回ってくるのです。
少子高齢社会の進行で、それが成り立たなくなるというのであれば、仕組みを大きく変えるべきですが、それは決して世代間の負担配分の話ではないはずです。
対立ではなく、一緒になって新しい仕組みを考えればいいのです。
金銭の呪縛から自由になれば、方法はいくらでもあるはずです。
小さな実験はこれまでもいろいろとあったと思います。
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