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2008/04/29

■「三匹の侍」の百姓と「7人の侍」の百姓

ガソリン税がまた上がるようですが、それを見越してガソリンスタンドは長蛇の車の列だとテレビで報道されてます。
その光景がとても不思議です。
お上には従いながらも、自らの生活だけは自衛しようとする、まさに「三匹の侍」が描いていた百姓のようです。
「7人の侍」の百姓とは大違いです。
こうしたいじましい生き方を私たちは何とも思わなくなりました。

ガソリンスタンドの前に並ぶよりも、
国会議事堂の前にデモをかけるのが効果的でしょうが、今ではだれもやろうとはしません。
私もその気にはなれません。
政治への期待を失っているのでしょうか。
自民党も民主党も、いずれも国民との共闘などは考えていませんから、まあ政治家も国民も、どっちもどっちではあります。
政権を倒すのは、野党ではなく国民なのですが、民主党にはそのことがわかっていません。
国民もまたそのことを考えもしません。
なにしろいまや政治は世襲の人たちの舞台でしかないのですから。
世襲政治家の発言には驚くことが多いです。

最近、政治問題を扱うテレビの報道番組のキャスター役は自民党に批判的な姿勢を見せています。
現政権を批判してもリスクがない状況になったわけです。
にもかかわらず自民党はあわてませんし、民主党も動きません。
不思議な状況です。
政治が壊れてしまっているのでしょうか。
少なくとも政党は壊れています。

国民がどんなに騒ごうと反対しようと、政府は考えを変えません。
彼らは国民に選ばれてはいないのですから当然なのですが、こうして昔、日本は戦争に突入しました。
いま私たちが突入しようとしているのは、何なのでしょうか。
何となく見えてきますが、だれも見ようとはしていないのかもしれません。
見たくないものは見ないのが、人間ですから。
私も見たくはありませんが、その予兆が身辺に増えています。
最近は人間嫌いになりそうです。

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