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2008/04/30

■ワーキングプアよりもプアなワーカーたち

今年の連休は快晴に恵まれそうです。
私は会社勤めを辞めて20年もたちますので、連休には全く積極的な意味を感じない生活をしています。

今朝の朝日新聞の1面に、「細切れ雇用の果て 39歳、全財産100円」という大見出しの記事が出ています。

ワーキングプアの実態報告です。
この人たちには連休はマイナスの意味はあっても、プラスの意味はないでしょう。
時給を中心に暮らしている人にとって、連休はうれしいはずがないのです。
連休がうれしいのは、そして経済的にメリットがあるのは、会社に所属する正社員たちです。
私は一応、個人会社を経営していますが、働かなければ収入は全くありませんので、時給生活者と実質的には同じです。
ですからワーキングプアの人たちの気持ちも少しだけわかるような気がします。
それに私の周りには年収200万円以下の人たちも少なからずいます。
もちろん私の世代ではなく、30代の人たちです。

彼らは決して働きたくないのではありません。
自立生活支援センター・もやい事務局長の湯浅誠さんは、「いまは、少し踏み外しただけでもすぐに貧困のどん底まで滑り落ち、なかなかはい上がれない」すべり台社会だと言っていますが、まさにそうした社会になってきているように思います。
その一方で、テレビでは相変わらず無芸な芸人たちが浪費を刺激し、社会の実相を隠すように虚構の世界を見せています。
彼らは経済的にはプアではないでしょうが、その働きの内容は、ワーキングプアの人たちよりももっとプアなような気がします。
浪費社会の手先として演じているのではないかなどと私は勘ぐりたくなります。
そうした人たちが「環境にやさしい」とか「持続可能な社会」とか「愛」を語っているのを聞くことほど不快なことはありません。

連休のさなか、世論の声などどこ吹く風とばかり政府はガソリン暫定税を復活させ、無駄遣いする官僚を守りました。
歳入が減らない限り、行政の無駄など無くなるはずはありません。
「細切れ雇用の果て 39歳、全財産100円」の人とは全く無縁な人たちが、税金を浪費しているわけですから、やりきれない気分です。
道路を造るのではなく、そうしたワーキングプアの人たちの生活を支援するのであれば、増税も歓迎できますが、高齢者や障害者と同じく、政府の関心対象ではありません。
再可決を強行した政府与党の政治家たち、それを許した(消極的に支援した)野党の政治家たちの仕事も、まさにプアとしかいいようがありません。
快晴続きの連休なのに、いやなことが多すぎます。

前述の朝日新聞の記事の最後は、こんな文章です。

男性はたびたび、自分のことを「私のような人間」と呼んだ。まじめに働いても、30歳で大学を出たというだけで貧困から抜け出せない。広がる「ワーキングプア(働く貧困層)」。1年間働いても200万円以下しか収入がない人は、06年に1千万人を超えた。
このまま何も起きずに連休が終わるでしょうか。
なにかとてもいやな気分がしてなりません。

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