■節子への挽歌215:「幸せ」は、その時には気づかないものなのかもしれません
昨年の今頃、私の最も幸せな時間の一つは、節子の足裏マッサージでした。
毎日、2~3回、官足法という足裏マッサージをしていたのです。
それまで歩行も困難だった節子が、専門家の岡山さんにマッサージをしてもらったら痛みが消えて歩けるようになりました。
私たちが奇跡を感じた最初の体験でした。
以来、岡山さんから教えてもらった方法で、私が毎日、節子の足をマッサージしました。
棒で気絶するくらい強く足裏をマッサージするので、節子も大変でした。
痛くても辛そうにせずに、笑顔でいなさいと岡山さんはいうので、落語や綾小路きみまろの漫談テープを聴きながら、気を紛らせていたものです。
午前中の場合は、毒蝮さんのラジオが定番でした。
そういえば、1日1回は、一昨日書いた濱口さんから教えてもらった瞑想のCDを聴きながらでした。
思い出してきたら、とても辛くなってきましたが、1年前は足裏マッサージが出来たのです。
今から思うと、とても幸せな毎日でした。
毎日2時間くらいを、足裏をマッサージしながら、節子との時間を共有していたのですから。
「幸せ」は、その時には気づかないものなのかもしれません。
後になって後悔しないように、今の幸せを大事にしたいものです。
節子と一緒にいた頃の「幸せ」は、あまりに日常的で幸せなどをあまり意識したことがなかったように思います。
節子が言っていたように、何もないことの幸せをもっと大事にし、感謝しておくべきでした。
みなさんも、ぜひ「今の幸せ」を大事にしてください。
余計なお世話ですみません。
| 固定リンク
「妻への挽歌02」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌399:節子を見送った後、初めて湯河原で朝を迎えました(2008.10.04)
- ■節子への挽歌396:習字の仲間が来てくれましたよ(2008.10.01)
- ■節子への挽歌398:秋の箱根は、無性に悲しかったです(2008.10.03)
- ■節子への挽歌395:マリーがよろこばないから(2008.09.30)
コメント