« ■後期高齢者保険と世代間対立論理 | トップページ | ■逃げ場の無い空間での身の処し方 »

2008/04/16

■節子への挽歌227:時間を持て余しています

節子
最近の私は極めて健康的な生活を送っています。
朝、6時半に起きて、夜は10時に就寝。ベッドで報道ステーションを見ながら、11時には自然とテレビが切れて、私も寝ているという生活です。
これは私たちが目指した生活パターンでしたが、ほとんど実現したことがありませんでした。
なにやらお互いに忙しくて、就寝するのはいつも12時近くでした。
なぜお互いにあんなに忙しかったのでしょうか。
節子が再発してからはともかく、病気になってからも私はいつも何かをしていたように思います。節子も何かをしていましたが。
何をしていたのか全く思い出せません。

かなりの時間、パソコンに向かってたのは思い出せます。
節子からいつも怒られていましたから。
私のパソコンはメールの返事がほとんどでした。
いろんな人からいろんなメールが来ると、ついつい長メールをかいてしまっていました。
なぜこんなにメールが来るのかなと節子に言うと、あなたが出すからくるんじゃないのといつも言われてました。
そうだったかもしれません。
その証拠に最近はメールも少なくなりました。

それにしても、どうしてこんなに早く就寝できるのかわかりません。
不思議でなりません。
節子がいたころ、こんなにゆったりと過ごせたらよかったのにとつくづく思います。
節子も私も古館さんが好きでした。
感情的なのが私は好きでしたし、節子はあの歯切れのいいテンポが好きでした。
でもゆっくりと一緒に報道ステーションを見たことはあまりなかったですね。

最近は、本当に時間があまっています。
家事はむすめたちがよくしてくれます。
夜にはなにもする気が出てこなくなってしまったのです。
テレビもあまり見る気がしません。

半身を削がれるということは、こういうことなのかもしれません。

|

« ■後期高齢者保険と世代間対立論理 | トップページ | ■逃げ場の無い空間での身の処し方 »

妻への挽歌02」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌227:時間を持て余しています:

« ■後期高齢者保険と世代間対立論理 | トップページ | ■逃げ場の無い空間での身の処し方 »