■節子への挽歌254:「配偶者を亡くした人は、現在を失う」
昨日、読んだ「愛する人を亡くした人へ」のなかに、こんな文章が出てきます。
親を亡くした人は、過去を失う。グリーフ・カウンセラーのE・A・グロルマンの言葉だそうです。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
人は何かを失うと、必ず何かを得ると私は思っています。
父を亡くした時に私が得たのは出会いの意味の気づきでしたし、
母を亡くした時には自分自身の身勝手さへの気づきでした。
あまり正確ではありませんが、グロルマンの言葉とは違い、大きな過去を背負い込んだような気分でした。
未だにそれから解放されていませんが、これに関しては一度書いたことがあります。
配偶者だった節子を亡くして、「現在を失った」という感覚は実にぴったり当てはまります。
自らの生が、突然断たれたような衝撃を受けました。
しかし、失ったのは現在だけではなく、過去も未来もです。
現在は、過去や未来の母体だからです。
では得たものは何か。
まだ言葉になりませんが、たくさんあります。
おそらくそれは、人によって違うでしょう。
あまり言葉にすべきではないかもしれません。
言葉にすると、どうしても違ったものになりそうな気がします。
しかしたくさんのものを得たような気がします。
節子が残していってくれたものに感謝しています。
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