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2008/05/27

■「自分たちより大変な人の手助けをしたい」

陰惨な事件が続き、テレビのニュースを見るのがいやになっていますが、今日の朝日新聞の夕刊にとてもうれしい記事をみつけました。
中国の大地震関係のニュースなのですが、「被災者助け合い 自宅壊れても吹き出し」という見出しの記事です。
ネットでは公開されていないので、一部を引用させてもらいます。

中国・四川大地震で被災者同士が助け合う動きが出ている。ふるさとを離れ避難所でテント暮らしをするお年寄りや子どもに、おかゆを作って差し出す被災者。水や食糧を譲り合う人たちもいる。「自分たちより大変な人の手助けをしたい」。支え合いの気持ちが被災地に広がっている。

四川省安県永安地区の避難所。25日の昼、歩いて数分のところに住む馬さん一家が、自宅で作った米7・5㌔分のおかゆをリヤカー2台で運んできた。お年寄りや子ども向けに1杯ずつ配る。おかゆはすぐになくなり、周りに子どもたちの笑顔があふれた。

記事によれば、馬さん自身も自宅が壊れ、庭でテント暮らしを続けているのだそうですが、「自分たちはお湯を沸かすことができる。もっと困っている人を助けるのは当然」と話したそうです、

困った時にはお互いに助け合うのは、人間に生来埋め込まれた本性だと思います。
しかし、それがある状況の中では忘れられてしまい、その逆の言動が出てきてしまうようです。
最近は、そうした状況が日本中に蔓延しているようです。

とても不思議なのは、自らが困った時、弱くなった時にこそ、周りの人のことに目を向ける本性が出てくることです。
頭で考えると、逆ではないかと思うのですが、自分の体験からも、人間の本性が出てくるのはどうも苦しい時です。
苦しい時にこそ、悲嘆にくれている時にこそ、人間は素直になれ、生命的な本来の感性や思いが自然と出てくるのかもしれません。

この記事を読んで、高い目線から困窮者を助けてやろうという救済活動は、注意しないと自然と生まれる助け合いの動きを潰す危険性があるような気がしてきました。
もちろん「救済活動」を否定するつもりは全くありませんが、危険性を秘めていることを認識しておくことが必要だということです。

もう少しきちんと説明しないと誤解されそうですが、人間は本来助け合い支えあう存在なのです。
そこにだれかが「競争」という概念を持ち込んでしまった時から不幸が始まったのかもしれません。

この記事が示唆してくれていることは、とても大きいです。
福祉の本質が含意されているように思います。
まだきちんと説明できませんが、未来を構想するヒントも含まれているように思います。
近代が前提にした人間観は見直す必要がありそうです。
とても幸せな気分になって、この記事を何回も読み直しました。

ひるがえって今の日本社会を見ると、
「自分たちより金持ちの人の手伝いをしたい」人ばかりで、目が上ばかり向いているような寂しさを感じます。
心の向きが全く反対です。
自ら苦労した人たちは、日本でも「自分たちより大変な人の手助けをしたい」と思っているはずですが、そうでない人たちのほうが社会を主導しています。
最近、そのことを痛感していますので、この記事が本当に心に響きました。

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