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2008/05/29

■マスコミが報道すべきこと

最近のマスコミ、とりわけテレビのニュースや情報番組は、猟奇的な事件や企業不祥事の詳細な報道が増えています。
そうした報道にどのような意味があるのか疑問を感じます。

報道は単に「事実を伝えること」ではありません。
「意味を伝えること」でさえなく、「メッセージすること」です。
報道の中立性といわれますが、報道は志向としての中立性はあるとしても、実際には中立性など持てるはずがありません。
どの事件を取り上げるか、どの画面を選ぶか、どのくらいの時間を当てるか、つまり「編集」の仕方で伝わる意味は全く変ります。
そしてそれこそが最大のメッセージであり、伝わるものの「主観」でしかありません。
形だけの中立性や客観性などを意識すればするほど、主観的な意味のない報道になります。

テレビが取り上げるべきことはもっとたくさんあるはずですが、
最近のテレビはなぜかほとんど情報価値のないことばかりを選びます。
その「意味のない事件」を詳細に突っつくことに努力しますが、多くの視聴者はそんなことなど期待してはいないように思います。

どんなニュースを取り上げるかで、テレビ局や新聞社の意識が見えてきますが、
最近のマスコミは平均的な人たちよりも、ずっと世界は狭く、知性は浅いように感じます。
それに、想像力があまりにもありません。
もう少し世界を広げ、考えを持ってほしいです。

本当にテレビも新聞も退屈になってきました。
時代の変わり目であればこそ、マスコミの役割は大きいのではないかと思うのですが。

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