■節子への挽歌271:節子のいない誕生日
節子
私もとうとう67歳になりました。
私自身には誕生日を祝う文化はないのですが、今年は節子がいないせいか、逆に自分の誕生日を意識していました。
おかしな言い方ですが、これからは誕生日を迎えるごとに、節子の世界に近づけるわけですから、めでたい節目になるわけです。
かなり屈折した言い方に聞こえるでしょうが、それがとても素直な気持ちなのです。
今年の誕生日は、実は自宅でないところで迎えました。
箱根のホテルです。
といっても旅行ではなく仕事の関係の合宿です。
一人だけの誕生日です。
もしかしたら初めてかもしれません。
いつも節子が隣にいましたから。
人の誕生日を祝う発想はどこから生まれたのでしょうか。
わが家でも子どもたちが小さな時は、ケーキを作りプレゼントもしました。
その名残りは今も続いていますが、たぶん子どもたちが学校を卒業する頃までがみんなで祝う特別の日でした。
無事に1年を過ごし、自立に近づいたことを改めて確認しあう場だったように思います。
しかし子どもが大きくなれば、その意味は少なくとも私にはなくなってしまいました。
家族には悪いことをしたかもしれませんが、私にはそもそも誕生日を祝う文化がないのです。
今の私のように高齢者になった時の誕生祝はどういう意味があるのでしょうか。
元気で67歳を迎えられたことを祝うのでしょうか。
きっとそうなのでしょうが、私にはそういう文化が全くありません。
私の関心事は、前にしかないからです。
まもなく節子の世界にいけるかもしれない、それに1年近づいたことを祝うと考えれば、私にも誕生日は意味を持ってきます。
しかしそれはきわめて個人的な喜びであって、みんなで祝うのはふさわしくありません。
いささかふてくされた物言いですが、まあ一言でいえば、人生の節目も伴侶がいないと祝えないものだというだけの話かもしれません。
もし伴侶さえいたら、それこそどんな口実をつけても祝えるはずです。
私があんまり特定の日を祝う文化を持っていなかったことを節子はどう思っていたでしょうか。
いささか悔いを感じます。
節子と出会えて、彼女から最初にもらった誕生日のプレゼントは何だったのでしょうか。
私には全く思い出せません。
そもそも私にはプレゼントの文化もないのかもしれません。
私にとっての人生唯一のプレゼントは、節子への愛であり、節子からの愛でした。
先日、わが家に来てくれた東さんの言葉を思い出しました。
「40年間、これほど愛する人と一緒にいたのですから、佐藤さんは幸せですよ」
私には毎日が祝いの日だったのです。
さて、明日からまた1年、彼岸に向けてしっかりと生きなければいけません。
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