■自治体行政のパラダイム転換
大阪府の橋下知事が進める人件費削減はかなり大幅なもので、実施に向けてはまだまだ多くの難関があるでしょう。
職員としてはなかなか反対はできない状況になってきているのかもしれませんが、
府民の多くはどう思っているのでしょうか。
もし行政の職員が、府民の生活を守る仕事をしていたならば、府民はきっと人件費削減には賛成しないでしょう。
しかし、大阪府に限りませんが、なかなかそういう声は起ってきません。
そこにこそ日本の自治体行政の大きな問題があるように思います。
自立生活サポートセンター事務局長の湯浅誠さんが書いた「反貧困」(岩波新書)には、まじめに働いても生活できない人が増えていること、そしてそうした人たちの生活実態が紹介されています。
行政による生活保護制度はそうした人を支援するよりも排除する姿勢が強いことも示唆されています。
私の体験でも心あたることは少なくありません。
行政の対応はまず「ノー」から始まることが多いように思いますが、発想の起点が住民にではなくお上にあることがすくなくありません。
日本の行政は、生活支援ではなく統治行政であることがよくわかります。
統治する側にいる人にとっては、生活者の都合など問題ではありません。
むしろ問題があればあるほど、自らの存在価値を保証できるという「近代のジレンマ」の論理の上に成り立っていますから、生活者の困窮はほどほどに必要なのです。
それに対応するような形で、統治される側にとっては統治側にいる人は不要な存在ですから、そのための人件費は少なければ少ないほどいいことになります。
そこには不幸な関係しかありません。
もちろん個別には例外はたくさんあります。
しかし、仕組みはそうなっているように思います。
それこそが問題です。
そうした枠組みの中では、霞ヶ関がさまざまな社会問題を解決すると称して展開している施策に投入される予算のほとんどは、その対象に到達する以前に統治側に吸い取られてしまいます。
「反貧困」にもそうした話が出てきますが、昨今の報道を見ていると、それを吸い取っているのが行政の仕組みとさえいえるかもしれません。
そうした仕組みを壊さなければいけません。
日本の政治家がそうであるように、日本の行政は生活者の視点で設計されていません。
それを変えていかねばいけません。
橋下さんが取り組んでいるのは、そうした枠組みの中での取り組みですから、気が遠くなるほど大変な作業なのです。
しかし、にもかかわらず、どこかにすっきりしないものを感じます。
なぜでしょうか。
根本にある問題を変えることなく、実現しやすいところから取り組んでいると、問題はさらに深まっていくのではないかという不安もあります。
これは大阪だけの問題ではありません。
自治体行政のあり方を、根本から見直すグランドデザインが求められているように思います。
その鍵は、発想の起点を変えることです。
起点を変えると、風景が変ってきます。
そのモデルは、福島県の矢祭町が示唆しているようにおもいますが、どうでしょうか。
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