■節子への挽歌255:写真を見るとやはり涙が出てきて仕方がありません
めそめそした記事はみっともない、やめたほうがいいよ、という節子の声が聞こてくるのですが、今日はまためそめそした記事です。
節子の後を継いで、わが家の花係になった娘が、去年の庭の花の様子を見たいというので、私のパソコンに入っている写真を見ました。
花に囲まれて、日向ぼっこしている節子の笑顔の写真が出てきてしまいました。
庭の椅子に私と一緒に座っている写真です。
不覚にも涙をこらえることができませんでした。
この写真の直後に入院してしまったのです。
もうかなり辛かったでしょうに、そんなことなどは微塵も感じさせない笑顔です。
今ごろ涙を出すくらいなら、なんでこの時にもっと節子を大事にしなかったのだろうかと悔やまれて仕方がありません。
その数か月先に先に起ることなど考えもしていない2人の様子に、先の見えない自分自身の馬鹿さ加減を思い知らされるのです。
この時、節子は幸せだったでしょうか。
写真からはそうとしか見えません。
私自身も、とても幸せそうなのです。
愛する人と一緒にいることが、どれほど幸せなことなのか。
そう思います。
やはり節子の写真を見るのは、まだできそうもありません。
かといって、膨大な枚数の写真を捨てることもできません。
節子のことになると、どうしても身体が動かなくなってしまいます。
困ったものです。
節子
おまえの笑顔はほんとうに私の生き甲斐でした。
改めて、ありがとう。
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