■節子への挽歌259:笑顔を取り戻さないといけませんね
節子
昨日の続きです。
東尋坊の茂幸雄さんと川越みさ子さんがやっているNPOの会報が届きました。
だいぶ前にコムケアセンターに届いていたのですが、私があんまりオフィスに行かないので、受け取ったのは先週でした。
一昨年の秋、節子と最後の旅行をした時に、茂さんと川越さんにお会いしました。
まさか会えるなどとはきっと節子は思っていなかったでしょうし、私自身も会えるかもしれない程度の思いでした。
ところが、東尋坊について自動車を降りたら、なんと目の前に茂さんがいたのです。
あの時は驚きました。
あの旅は、いま思い出しても不思議な旅でした。
茂さんたちに会った翌日、夕陽を見ました。
あんなにきれいな夕陽は初めてでした。
1時間近く落日に輝く日本海を見ていました。
その1年後に、節子が逝ってしまうとは思いもしませんでした。
茂さんたちは、また元気になって2人で来てくださいとメールをくれましたが、残念ながらそれは無理になりました。
茂さんたちは、東尋坊で自殺予防活動に取り組んでいます。
死は、身近に体験した人でないとその意味がわからないのではないかと私は最近思い出しています。
身近というのは何だと言われると難しいですが、自分の問題として、だと言い換えてもいいでしょう。
私の場合、父母の死はまだ「身近」ではありませんでした。
自分の死と、あるいは生と重なっていたのは節子の死が初めてでした。
なにも伴侶の死が「身近」だというわけではありません。
人によって身近さの捉え方は違うでしょう。
自分の生き方を変えてしまうような死の体験は、そうあるものではありません。
しかし一度体験すると、生きることの意味に気づきます。
あらゆる存在の生と死が自分につながっているような気がするのです。
インドラネットの世界です。
茂さんと川越さんのやさしさや温かさは、死を身近に体験したことから生まれたのではないかと勝手に思っていますが、茂さんたちの笑顔は本当に会う人をホッとさせます。
先週、このブログの時評編で、死刑に関して書き続けましたが、書いているうちに茂さんの笑顔を思い出したら、論理を超えて死刑制度反対に戻ってしまいました。
人の生を元気付けるのは、笑顔かもしれません。
節子の笑顔には毎日会っていますが、私もできるだけまた笑顔を取り戻したいと思います。
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