■死刑について3:死刑制度をどう考えるかは思考の試薬
昨日、やっと辺見庸さんの「単独発言 私はブッシュの敵である」の本を入手できました。
そこに、「死刑制度について」という講演記録が載っていました。
先ずそこを読んでしまいました。
けっこう落ち込んでしまいそうです。
2日つづきになりますが、今日もまた「死刑について」を書きます。
辺見さんはこう書いています。
死刑制度というものが思考の試薬のように思えることがあります。私のすべてが、辺見さんに見透かされてしまっているようで気が重いです。
死刑制度をどう考えるか。その答えのいかんで、その人の思想や世界観の一端どころか、おそらくはいちばん大事なところが見えてきます。
自分自身でさえわかっていない自分が、彼には見えてしまっています。
皮肉ではなく、そう思います。
死刑が執行された永山則夫について言及しています。
私も彼の手記や作品を読んだ時期がありましたが、辺見さんと違い、何も見えませんでした。
世の中には存在が否定されるべき人はいない、という辺見さんの意見には全く賛成です。
死刑囚も人間だという話も、よくわかります。
私自身、世の中には本当は悪い人などいないと確信しています。
それは乳幼児たちを見ていればよくわかります。
にもかかわらず、身勝手な殺人が起こっています。
否定されるべきでない人の存在が否定されてしまった。
その帳尻は合わせなければ、生命全体が成り立たないと、私には思えてなりません。
他人の生命を奪った時に、実は自らの生命を放棄したのだと私は考えます。
つまり、殺したのは相手だけではなく、自らもなのです。
その死者のけじめをつけなくてはいけないように思います。
しかし、だからといって、それを国家を牛耳る権力者の権限にしていいわけではありません。
問題は2つあるように思います。
死刑制度の是非とそれをだれが担うのかという問題と。
辺見さんは、ペットの殺処理システムの、生々しい話を紹介し、死刑制度もそれに繋がっていると示唆しています。
そしてペット処理の話をすると反響が大きいのに、死刑制度の話は反響が少ないと嘆きます。
その怒りはとてもよくわかりますが、私自身、同じ反応をするかもしれません。
問題の設定に間違いがあるように思うからです。
処理システムの話は、また別の3番目の問題だろうと思います。
しかし辺見さんの深い洞察に反論するほどの確信は、まだ持てません。
昨夜、テレビで映画「グリーンマイル」が放映されていました。
無実の人が死刑を執行される残酷な映画です。
迷ったのですが、結局、観るのをやめました。
多くの人と同じく、死刑制度の問題からは逃げたい気がしています。
しかし、それをどう考えるのかが私の世界観の核心を物語っているという辺見さんの問題提起を読んだ以上は、避けては通れない気がしています。
もう少し考えてみるつもりです。
厄介な問題にぶつかってしまいました。
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