■節子への挽歌272:節子は箱根が大好きでした
節子
今朝は箱根での目覚めです。
節子は箱根がとても好きでした。
ここにはたくさんの思い出が詰まっています。
いろいろな人たちと来ましたし、私たち2人だけでも何回も来ました。
今回宿泊したのは強羅ですが、ここにはしかし、あまりいい思い出はありませんね。
桜の終わった殺風景な強羅公園や瑣末なことでの夫婦喧嘩で途中で出てしまった彫刻の森。
いずれもあんまり楽しい思い出ではありません。
節子がいなくなってから箱根に4回泊まりました。
いずれも仕事関係の合宿です。
私は合宿のアドバイザー役ですので、数時間付き合えばいいので、その気になれば箱根を楽しむ時間はとれるのですが、その気に全くなれません。
おそらくどこに行っても、あなたとのことを思い出してしまうからです。
実現できなかったこともいくつかあります。
駒ヶ岳から鎌倉古道まで歩いて下山するのも実現しませんでした。
箱根水族館にも私がいつも反対したために入館できませんでした。
ツツジの時期に山のホテルに泊まることもありませんでした。
ガラスの森が節子には一番思い出があるかもしれませんね。
私とは2回しか行きませんでしたが、いろいろな友人たちとあなたは行きました。
最後に若い頃の親友たちと行った時の話をいつも楽しそうにしていたのを思い出します。
節子はいろんな人を箱根に案内するのも好きでした。
でももう案内できなくなってしまった。
私も、節子のおかげで箱根はかなりいろいろなところに連れて行ってもらいました。
でももう案内してもらえなくなりました。
いつか娘たちともう一度だけ箱根に上ろうと思いますが、彼女たちが一緒でなければたぶんもう2度と箱根には行けないでしょう。
箱根の恩賜公園で、目の前の富士山を見ながら、節子が歌を詠んだことがあります。
節子はそういう遊び心がありました。
しかし私にはそういう遊び心が不足していました。
節子の歌は面白がりましたが、自分では歌を詠む気にはなりませんでした。
節子はまたスケッチもしましたし、落ち葉を拾ってはそれをいろんなところで効果的に活かしました。
あなたは私よりもずっと文化人でした。
私と違って、生まれながらの感性の文化人でした。
私は小賢しい頭だけの文化人だったのかもしれません。
節子との40年は、本当に豊かで楽しい40年でした。
波も風もありましたが、それこそが人生の豊かさなのでしょう。
今日は節子が大好きだった湯河原の部屋に泊まる予定です。
一人で泊まれるかどうか、まだ不安ですが。
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