■節子への挽歌266:伴侶がいなくなっても元気にがんばれる人と失意に埋もれる人
節子
あの名木純子さんからメールが来ました。
チャイルドマインダーという仕組みを創りだし、ご自身もたくさんの里子と一緒に子育ち支援の分野の先鞭をつけてきた人です。
メールは、今回の四川省の大地震で発生した親を失った子どもたちのことでした。
そこに書かれていたのは、私にはとても思いもつかなかったことですが、同じ風景から見えてくるものの違いに気づかされました。
これに関しては、CWSコモンズに少し書きました。
伴侶を送った後、元気にがんばれる人と失意に埋もれる人とがいます。
私はどちらかといえば、後者です。
何をしても意志が持続できなくなってしまいました。
私の周りを見回すと、どうも男性は後者になりがちで、前者の生き方は女性に多いような気がしてきました。
偏見かもしれませんが、女性のほうがやはり主体性を持っているのです。
一言でいえば、自立しているのです。
私は若いころからそう思っていましたが、それを思い知らされたのは会社に入ってからです。
それに関しては、いつかまた書きたいですが、今日は伴侶と死別してからの生き方の話です。
愛する夫を見送ってからもなお活躍している女性は少なくありません。
すぐに思い出すだけでも、高崎の竹澤さん、大阪の永井さん、そして名木さん。
ほかにもまだ何人かの顔が浮かびます。
みんな私より少しだけ年上ですが、私の数倍も精力的に活動しています。
みんなに共通しているのは、多くの仲間に支えられていることです。
そしてたぶん、今なお愛する伴侶との一体感を強く持っていることです。
社会的な活動に取り組んでいることも共通しています。
こう書いてきて、いまふと気づいたのですが、
もしかしたら、持って行き場のない怒りを活動にぶつけているのかもしれません。
「元気にがんばれる人」と「失意に埋もれる人」とは、実は同じなのかもしれません。
「失意」はきっといつか「活動」に転換するのでしょう。
「解放」とは愛する伴侶からの解放ではなく、失意からの解放です。
たしかに3人の人たちのことを考えると、そんな気がしてきました。
私ももうじき「元気にがんばる人」になるのかもしれません。
それまでは引き続き「ぐずぐず」「おろおろ」していたいと思います。
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