■節子への挽歌246:若草の節子
節子
小学校の同級生の升田淑子さんが献花に来てくれました。
節子は升田さんには湯島のオープンサロンで会っていますね。
その時は、たしか3人ずれでした。
有機農業の金子友子さんと写真にのめっていた芳賀庸子さん、そして升田さんでした。
みんな個性的で、節子はそれぞれに感心していました。
私たちの小学校のクラスメイトは「ぽんゆう」というグループ活動をしていたので、今でもつながりは続いているのです。
真紅のバラを持ってきてくれました。
節子にとっては3回目の真紅のバラです。
一昨日、中村さんからもらった菖蒲も満開です。
升田さんは昭和女子大学の上代文学の先生です。
「若草の」という枕詞が話題になりました。
「若草の」は一般に妻の枕詞ですが、実際には自分の妻、とくに生活をともにしている妻には使われず、友人の妻や遠く離れたところにいる妻には使われるそうです。
「若草の」が妻の枕詞になったのは、「若草の柔らかく新鮮で、愛すべきものであることから」という説明もありますが(三省堂「大辞林」)、升田さんは「若」という文字がもつ動きのエネルギーや時間的感覚ではないかと説明してくれました。
私の知識不足であまり理解できなかったのですが、「若草の」にはどうも物語が随伴しているようです。
言葉に物語が随伴している。
それこそが「言霊の国」の言葉ですが、最近の日本語は退屈になってしまいました。
「若草の」が気になって、岩波の古語辞典で調べてみました。
初生の葉が多くは二葉であることが配偶の意味の「つま」にかかると書いてありました。
わかりやすいですが、退屈な説明です。
いまは彼岸にいる節子は、なぜか私には「若草の」というイメージがぴったりなのです。
節子が自分で選んだ遺影の写真は、若草色のセーターを着ています。
毎日それを見ているせいか、なぜか若草色のイメージを強く抱いていました。
みんなは「白い花に囲まれている」と言うのですが、私のイメージの彼岸は萌えるような若草色の草原です。
話がいささか支離滅裂ですが、升田さんから聞いた「若草の」の話が、この3週間、私が気になっていたことに決着をつけてくれたのです。
節子は、私にとってはずっと若草の節子だったのかもしれません。
共に暮らしながら、いつも萌えるような存在でした。
それに気づいたのは、節子を送ってからです。
若草の節子。
この言葉がとても気に入りました。
この枕詞の後ろにある物語を、もう少し知りたいと思っています。
いつかまた報告します。
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